「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

介護中は二人分の人生を生きている?

2016-05-18 | ●介護回想(2015~)
認知症の介護の場合
本人に意思確認が出来なくなると、介護者が代わってあれこれ判断することになる。
当然、進行するに従い、そういう場面は増えていく。

デイサービスをどこにするくらいの判断はまだしも
生き死にに関わるような話になると、ホントに重い。

自分ではない人の、最期に向かう道筋に責任を持つ。

そんな介護が何年も続く。

結局、二人分の人生をその間生きているのかな?

だったら当然消耗する
介護が終れば当然、荷下ろし症候群にもなるよ。

深く関われば関わっただけ消耗するはずだから
最初から距離をおける人は、その方が多分、いいんだろう。
介護中も、介護が終わった後も、そのほうが楽なはず。
無理矢理にでも距離をおいたほうがいいのかもしれない。
私には出来なかったけど。

以前
自分より年上の世話をする動物は人間だけ。
だから介護はむずかしいこと。
というような話を聞いたことがある。
確かに、人間って、年下に対しては寛容になれるけど、年上にはなりにくい。
年下の世話は優しく出来ても、年上だと、何で私がこの人の世話を?となりやすいものね。

人も本来は
介護が必要になる前に、ひっそり死ぬべき生き物なのでしょうか?



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6 コメント

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時々日記様 (mitu)
2016-05-18 19:03:51
こんばんはー。
両親,姑、を看て来ましたが、
其れは当たり前と思って介護をして来ました。

認知症に成ったら自分の親でも、もう看れないと、施設に預ける、なんで嫁に行った先の姑を看れないのか、

と今までは思って来ましたが、私の気持ちの何処かで羨ましくも思っていました。

みんなを見送った時に安堵感・・
そして自己満足だったんかなとも思った事も有りました。

きっとそうなのかも知れません。
母が行方不明に成っても怪我1つせずに、
おまわりさん、近所の方たちに助けて貰い・
毎日、今日は何事も起きません様にと願いながら、

主人はこれから先どんな事に成るのか、一応は覚悟はしていますが、

主人の人生は頂きたくないなー。
もう私の人生一杯です。
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こんにちは (あんず)
2016-05-19 11:12:41
認知症の人が、徘徊を繰り返すのは、
生き物としての最後の尊厳なのではないか?
と 思います。

ゾウの墓場(ほんとかどうかわかりませんが)の話や、
ライオンや、サルがひっそりと群れを離れたりね。
群れは、それを引き留めたりしないしね。。。。。。


人も最後に本能だけが残って、
群れから離れようとするのではないかな。。。



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mitu さんへ (ビゴ)
2016-05-21 13:22:24
私なんて母一人を介護しただけ。
それでもガッツリエネルギー使いましたから、何人も介護されたmituさんには、ハハァ~~と頭が下がります。
すごいパワーだと思いますよ。
そして今も進行形。
私はただただ平穏な介護(そんなものがあるのか?!)が継続されることを願うばかり。

考え方も想いも人それぞれなんでなかなか難しいです。

わたしは、在宅で介護したいと思ったけど、早めに施設介護にするほうがよいと考える人もいますもんね。

わたしの場合、施設入れろ派の人に色々言われたので、在宅介護が悪いことのような感覚に襲われて罪悪感もって介護していた時期がありました。
誰にも迷惑はかけてないのに……と思いながら……。
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あんずさんへ (ビゴ)
2016-05-21 13:29:12
そうね~~確かに、群れから離れひっそりと死を迎えるのが動物。
でも、社会生活なるものをする人間はそうはいかなくなっている。

もしや、姥捨て山は正しかったのか?!
まあ、自分で、本能で去るのではなく、息子がおぶって連れていくというものだけど……。

療養病棟で点滴に繋がれていては、ひつそりと群れから離れるわけにもいかない現実。

ああ、人間って面倒くさいな
……などと思ってみるのでした。
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Unknown (案山子)
2016-05-26 13:07:47
初めまして 以前よりblog拝見しています。
作品も可愛いですね。私には無縁の才能で羨ましい 。
二年位前に綴られている事が 今のまさに私なのです。重く、切ない 後悔、 90代の両親に周りは仕方ないと思うでしょうが、歳は関係なく 切ない。今 父は入院中ですが 安定したら自宅でと思います。母も嫌な思いでも沢山なのに 枯れて来た今 やはり切ない、、多くの方がそんな想い抱えて暮らしているのでしょうね
暑くなります お気をつけて
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案山子さんへ (ビゴ)
2016-05-28 20:43:48
親子関係もそれぞれで、いろんな思いがあるのですよね。

出来れば在宅出来れば……と思う私のようなタイプや、早めに施設を利用したほうがよい関係を継続出来ると思うタイプ。
色々だから、「誰かに掛ける言葉」も難しいものだと、介護経験してわかったけれど
世の中はどちらかというと
励まそうとしてだとは思うけれど、自分の尺度で出た結論をぶつけてくる人のほうが多いきがします。
(としていいながら自分も無意識にそんなのとをしているかもしれませんが)

母が食べられなくなった話をすると、
80才なら……ある程度仕方ない……100まで生きる人もいるけども……みたいなことを言われました。
確かに、早すぎるという年ではないし、そうですね……と答えるけど、内心は、理屈はそうだけどそんなに簡単に割りきれるものじゃないのに……と思ってました。
でも、口には出せない。
何故かそんな空気でした……。
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