the社会福祉マン!さんのプログの中に「逃げられない顧客」という言葉を見つけた。胸をつく言葉だった。
学生の頃、福祉を学んだ。それはあくまで机の上での学問。
でも、福祉経営学なんて科目はなかったし、経営者がいて従事する人がいて利用者がいて、そこに経済活動があるなんて考えたこともなかった。
今、母が介護サービスを受ける立場になり、病院や在宅支援センター等と縁の切れない身となった。
まさしく「逃げられない顧客」だと思う。
少ない情報と知識の中でもがく私は、半分くらいは病院側の言うなりであり、ケアマネを、ケアスタッフを信頼し、すがって頼って、身を委ねるような立場だ。
母が病院のデイケアから排除された時、支援センターのデイサービスの回数を増やそうとしたら、朝の迎えの拒否と途中で帰りたがるという性質上、そのデイサービスでは別の曜日に母を受け入れる余裕がないと知った時、私は不安だった。この先が恐かった。
「今にどこも受け入れられないと言われるんじゃないだろうか。だったら、今の状態で、なんとか受け入れてくれる所に、たとえどんな条件を出されても受け入れて、こちらの都合や希望を言ってる場合ではない」と思った。
それが医療と福祉の現実なんだ…そう認識した。
考えてみれば、何事も、一つのプログラムとして存在し遂行され、そこにスタッフの人数や環境、様々な制約もありながら運営されているのだから、いろいろな決まり事や条件が出るのも仕方ないこと。
なのに、クライアントのために全てが動くと思いこんでいた。
朝の迎えに拒否が強いなら、それに合わせて対応してくれるものだと思いこんでいた。
もちろん、出来るだけ希望に沿うようにと手を尽くしてくれる人々もいる。
それでも、限界はある。あって当然だ。
全ての人に100%は望めないと思う。一人のために世に中が回っている訳じゃない。そこまでは求めない。求めないつもりだけど、つい、社会的弱者…だと感じてしまう。
いっぱい頭を下げて、気だって使う。それがイヤならサービスを使わなきゃいいだけのこと。
でも、自分のために使ってる部分が半分以上あるんだから仕方ないこと。
今使っているデイサービスがなくなったら困る。回数を減らせと言われたら困る。何かの理由で受け入れ出来ないと言われたら困る。スタッフに母や私が嫌われたら困る。
……私の本音。
学生の頃、福祉を学んだ。それはあくまで机の上での学問。
でも、福祉経営学なんて科目はなかったし、経営者がいて従事する人がいて利用者がいて、そこに経済活動があるなんて考えたこともなかった。
今、母が介護サービスを受ける立場になり、病院や在宅支援センター等と縁の切れない身となった。
まさしく「逃げられない顧客」だと思う。
少ない情報と知識の中でもがく私は、半分くらいは病院側の言うなりであり、ケアマネを、ケアスタッフを信頼し、すがって頼って、身を委ねるような立場だ。
母が病院のデイケアから排除された時、支援センターのデイサービスの回数を増やそうとしたら、朝の迎えの拒否と途中で帰りたがるという性質上、そのデイサービスでは別の曜日に母を受け入れる余裕がないと知った時、私は不安だった。この先が恐かった。
「今にどこも受け入れられないと言われるんじゃないだろうか。だったら、今の状態で、なんとか受け入れてくれる所に、たとえどんな条件を出されても受け入れて、こちらの都合や希望を言ってる場合ではない」と思った。
それが医療と福祉の現実なんだ…そう認識した。
考えてみれば、何事も、一つのプログラムとして存在し遂行され、そこにスタッフの人数や環境、様々な制約もありながら運営されているのだから、いろいろな決まり事や条件が出るのも仕方ないこと。
なのに、クライアントのために全てが動くと思いこんでいた。
朝の迎えに拒否が強いなら、それに合わせて対応してくれるものだと思いこんでいた。
もちろん、出来るだけ希望に沿うようにと手を尽くしてくれる人々もいる。
それでも、限界はある。あって当然だ。
全ての人に100%は望めないと思う。一人のために世に中が回っている訳じゃない。そこまでは求めない。求めないつもりだけど、つい、社会的弱者…だと感じてしまう。
いっぱい頭を下げて、気だって使う。それがイヤならサービスを使わなきゃいいだけのこと。
でも、自分のために使ってる部分が半分以上あるんだから仕方ないこと。
今使っているデイサービスがなくなったら困る。回数を減らせと言われたら困る。何かの理由で受け入れ出来ないと言われたら困る。スタッフに母や私が嫌われたら困る。
……私の本音。
ボランティアしてもらってるわけではないんだけどね……。
贅沢言ってられないってのが現実としてあるから仕方ない。
ホント、キツイ立場です。
知り合いがお姑さんをGHに入れたんだけど、地元に空きはなく、何十人待ちという状態で、車で一時間弱かかる町のGHに決めたとか…。
そういう現実ですもんね。
でも、いろいろな制約上、出来ない事があるという部分では、そこに従事している人たちがジレンマを感じているのかも…。
たまたま母の行っていた病院のデイケアは、医療で、福祉的なサービスとの違いを理解していなかった私には訳も分からずに拒絶された感じでした。
むしろ、しっかりと、そのデイケアの運営方針とか治療プログラムが、母のケースには合わないようだから別のサービスを利用したほうがヨイというような、素人のこちらが路頭に迷わないてすむような説明をして欲しかったです。(もしくはケアマネを通すとか)
それが、いきなり五分でバスに乗れないなら自宅で、という言い方は、あまりに中途半端でした。
今は、あのデイと母は合わないんだという理解をしているけれど、それも、保健所に相談してやっと得た答えです。
そんなに冷たく切られるってことはないだろうって、思うけど、不安はあるよね。
決められた中で、私たちはサービスを選択していかなきゃならないんだもの。
今、ようやく国の制度であっても制度ビジネスのようになりましたが、福祉の世界でも顧客ということばを使うようになりましたが、他の世界とは少し違う意味づけと受け止める必要があるのかなと思います。
だからこそ、利用者や家族の思いや気持ちを汲み取る必要があるのだと思います。サービスができるできない、要介護認定、いろんなことよりも
汲み取るからはじめると、「提供できな理由を並べて断る」ことは簡単にしないと思います
この先、サービスを受ける事が少なくなっていく事は無いだろうし・・・。
不安ですよね。