↓こちらは脳外科医のブログ記事です。
終末期の栄養投与
胃ろうについて③
とても読みやすかったのでおすすめします。
この医師は、進行した認知症高齢者に対して胃ロウは余り意味がないという立場。
母の入院時、「胃瘻の選択もあり得る」と医師(一般病棟の)に言われていろいろ考えた
なぜ悩んだのか…
それは「胃瘻が無駄な延命」という声が大きくなってきた時だったからかもしれない
胃に穴を開けて栄養…という行為に抵抗があるというより
無駄な延命を選択するのは「家族のエゴ?」という思いに悩んだような気がする
とはいえ
生きている家族を目の当たりにしたら、簡単に「胃瘻は無駄」とも思えなかった
私は母が痙攣を起こした頃から
脳の機能低下が以前よりスピードアップしていて、先はそう長くないと感じ、看取りに関する本を読んでいた
病院に行かない系の本も売れていた
その中では当然、胃瘻は否定的に書かれていた
こうした本やネットで出てくる「胃瘻否定」は
大抵が(たまたま私が見たモノは)
「食べられなくなったら終わり」
「人としての尊厳云々」
というようなもので
なんとなく漠然としていたし情緒的
結局、もやもやしたものが晴れなかった
医師が書いたものでも、結構、簡単に「これで生きているといえるのか」的な書き方だったりもした
だからやっぱり「第三者は簡単に否定するけど自分の家族がそうなっても同じ態度をとれる?」
という思いになってそこで堂々巡りをしていた。
結果的に母の場合
療養病棟の医師には最初から胃瘻の選択はなかったようで
中心静脈注射が続けられている
脚の付け根から点滴する…とは言われたけど
それが中心~であることを私は最初知らなかった
そして、もう胃ろうはナシなんだとわかった後の私は
「もし療養病棟に移った早々、今より体力があった時に胃ロウにしていたら
多少、体の状態がよくなり、ゼリーくらい最期の時まで食べられたのでは?」
という思いでモヤモヤしていた。
しかし↑の医師のブログ記事によると
進行した認知症の高齢者は、胃ろうにしたところで
栄養状態の改善は期待できないようだ。
脳の機能が低下している体はだんだんと衰えるのが自然の摂理
外からどれほどの栄養を与えてもそもそもそれらを吸収する力が衰えていること
むしろそれが負担になること
そうした理由がわかりやすく書かれていて
医学的視点からの説明が
いくらか気持ちをフラットにしてくれたような気がする
でもね…簡単に晴れ晴れ~~というわけではなくて
(もう母はこのまま中心静脈注射でいくけれども)
やはり今も、胃ロウの選択を迫られたら、簡単に決断できないような気がしている
胃ロウは栄養補給ルートとしては鼻からや中心静脈注射より優れている
本人負担も多分少ない
ケアの観点からみても管理しやすいらしい
さらに口から摂取と併用も出来る
なので、一時的に食べられないなど口から摂取が再開出来るであろう人にとって有効な手段。
母のように進行した認知症では口からの再開はナイないので
胃ロウにより「栄養状態の改善、褥瘡予防、誤嚥性肺炎予防になる」など
と言われていることに根拠がない(2006年、アメリカの報告)のならば
胃ロウにする必要性かない…ということになるようだ。
ただし胃ロウ推進派の方が
アメリカの報告は古く、現在は胃ロウ後のケアが進歩しているからその報告を鵜呑みにすることはない
…と書いているのを見たことがある。
胃ロウ後の正しいケアが大事ということらしい。
在宅介護について書かれたある本の中では
胃ロウ>鼻>中心静脈注射の順で、余命の平均年数が書かれていた
その差は半年から一年未満くらい
ブログの医師は
これらの方法で生命予後に明らかな違いはない…としている
生命予後に半年程度の差があるとして
その差をどう考える?
私は単純に長生きしてほしいと思う気持ちがあるけれど
母を見ると
もう、いいよね…と感じたりする
でもひょっとしたら本人は、少しでも長く生きたいと思うのかもしれないし……
ああ、だから…
だから自然の摂理に任せるんだ…と言ってしまうと
食べられなくなったら終わりでしょ
ということになる
だったら
母の中心静脈注射もはずす?
外からの栄養注入という視点から見れば
胃ロウも鼻からも中心~も同じこと
胃ロウだけが人の尊厳云々というのはどうなんだ?
ただ胃にアナをあけるから否定?
中心静脈注射はずっーーー点滴につながれたままだし
その点胃ロウのほうがいいんじゃないか?
………などと考えると、わけわからなくなる
が、が、が………
ポイントは、進行した認知症ということか?
脳は衰える
体の各機能も衰える
もう過度の栄養はいらない
むしろ負担
でも
実際に家族が胃ロウになった方が
在宅介護をしながら「やってよかった」と語る
胃に栄養を注ぎながら「表情がよくなった」と感じたり
ペットの動きを二人で見ながら笑い合い「生きていてくれてよかった」と思う
その瞬間を否定する権利は誰にもない。
だからやっぱり私はわからない…わからないまま…
賛成も反対も出来ない
ただ
進行した母には胃ロウにしてまでの栄養注入は負担
このままの終末でいいんだ…と…
そういう気持ちをかみしめている
そう思えたのは、脳外科医のプログ記事を読んだから…
ただね…なんだろ、この認知症による終末
とても切ない
本当にみなさん、同じように迷いながら決めなくてはならないんですね・・・。
タイムリーなこちらのブログを拝見させていただき、ありがとうございました。
その月に彼は亡くなりました。
http://blog.goo.ne.jp/popg888/e/99a75b187507d5ca395e63977f75ab7f
家族を思うが故の選択、誰にも任せられないし、一人で抱え込むことは大変でしょう
お察しいたします。
本人の意思確認がならないわけだから。
ただ、この医師のブログに巡り会えたのはよかった…と思っています。
結果的に私の場合はなんの選択もせずに医師側が中心静脈注射に決めたので、胃ロウのついて何も考えず、知らずにいたら、すんなりこの状態を受け止めていたんだけろうけど、最初にその選択もあると聞かされていたので、話が違う!という意味で悶々としてしまったきがします。
ホントに…疲れた、考えるだけで
どうコメしていかわからないので読むだけで帰ってきました。
私も母が誤嚥性になる前は
「母も胃ロウなんて望んでいない」とか「胃ロウまでする必要ない」とか思ってました。
自分の身に置き換えてもそこまでして生きたいのかと。
でも
実際に選択する必要があるかも…という立場になったら簡単に言えなくなった。
難しかったのは
母が意識もあるし口も動かすし、エア食べもしている状態だったからではないかと思います。
枯れるように死ぬのか゛一番楽と聞いた時
認知症が進行して意識もなく手足も動かない、当然食べない…という状況を想像していたので、そのときに胃ロウは選択しないと思えていたんだけど、それとはちょっと違った状態なので
今後、何事もなく時が流れたらいずれ意識がない状態になって終わるんだろうし、母のような進行した認知症には胃ロウは不要なんだろうと理屈としては理解しています。
ただ、気持ちはなかなか簡単に割り切れないですね。
もし今、胃ロウにしないかと医師に言われたら簡単に拒否する自信がありません。
悩んで悩んで……どうするだろう…
私も終末期の母を昨日転院させ、いま一段落ついてるところです。
私の母は、九年前に特養に入所し一年後胃ろう造成しました。
三度目の脳梗塞発症にともなって右麻痺+咽喉麻痺ということで食べることしゃべることができなくなり、胃ろう造成を余儀なくされました。
当時は、選択肢もなく医師の言うがまま 形上の相談はありましたが有無を言わせず造成されたように思います。
母は介護度5で今年2月に誤嚥性肺炎で入院し一ヶ月で退院、
その4日後に再発し救急搬送。
心臓がいつ停まってもおかしくないということで3月24日からずっとICUでした。
いわゆる終末期ということだったんでしょう。
二週間あまり酸素吸入と胃ろうからの栄養摂取ですごしましたが、胃ろうからの栄養摂取は無理ということで以後、鎖骨横からの中心静脈カテーテルで栄養補給をし、薬は胃ろうからという形を取ってました。
その経過観察が三ヶ月過ぎた 経過も良好だからと言うことで、療養型への転院を薦められた訳です。
私は、母の居た特養にこの春まで11年勤めてましたので終末期の看取りはかなり見てきましたし、終末期の在り方もわかってるつもりです。
が、いまここでお書きになってることは胃ろうのことなので、終末期の話しはスルーします。
胃ろうについては、造成すると言われた時断ったんです。
でも、そうしないと生きられないと言われて承諾しました。
ですが、8年間ずっと見守ってきて三年すぎた辺りから、これでよかったのかと自問自答するようになりました。
この三年というのは経過年数ではなく、この辺りから無表情 無感情になったからなんです。
認知症で介護度5と言えども、耳は聞こえ目も近くならばみえる(はず)。
なのに、しゃべること 食べること からだを動かすことができません。
これでは、つらいんじゃないだろうか・・・と、考えるようになりました。
ですが、最近胃ろうについて論議されるようになりましたが、一旦造成した胃ろうは中断することはできません。
いくら家族が外してほしいと申し入れしても、ひとの命を断つことになりますので簡単にOKと言う訳にはいかないのです。
そして、現在は胃ろう造成者は特養すら入所できない状態です。
まして、中心静脈カテーテルを施した場合は医療行為となって介護の分野から外れます。
いま、私はその辺りのことをBlogに書いてますが、転院した今これからもいろんな問題が発生してきます。
これからも、母が旅立つまでの経過を書いていくつもりですが、単なる愚痴にしかならないかもしれません。
貴重なお話、ありがとうございます。
胃ろうをされた方の実際の話を聞く機会がなかなかないのでとてもありがたいです。
一度胃ろうにすると簡単にやめることもできないんですね。
一時に
比べると医師も簡単に胃ろうをすすめなくなったようですが、選択肢として提示されると家族はなかなか判断がむずかしいところです。
介護生活も長くなりましたが、私にとってはその時その時がいつも初体験で、それなに?…と言うことばかり。
直面してから介護職の方から話を聞いたり、ネットで調べたり
後手後手です。
それが医療の分野となるとなおさらです。
わからないことだらけ。
そしていろいろ考えすぎて…
だんだん、これが運命なのね…とか思う日々です。
今はただ病院通いしてるだけ
でも介護が終わったわけではなく、どこかゆらゆらしている自分がいます。