お迎えが来て家を出るまで20分。
これを長いというべきか、短いほうだと思うべきか……微妙である。けれども、途中、今日は無理なのでは、と思ったことを考えれば、無事に行ってくれたと思った方がいいだろう。
初のお泊まりに心配がないと言えば嘘。フクザツな心境でもある。「拒否しているし。泊まるなんて知らない母なのに」そんな心の痛みもある。
でも、例えばこうしてNetしていても時間を気にしなくてイイ、こういう感覚は日々のデイでは味わえない。
だって、丸一日、自由なんだよー。こういうの普通に暮らしていたら絶対に分からない感覚。
思い出すのは、初めてデイサービスを使った日。一人だけで街を歩いた瞬間のあの解放感。
自由の素晴らしさを知ることが出来たのは介護生活のおかげ…。まっ、こんなふうに思うことで介護生活でも得るものがある…ということにしておこう~
これを長いというべきか、短いほうだと思うべきか……微妙である。けれども、途中、今日は無理なのでは、と思ったことを考えれば、無事に行ってくれたと思った方がいいだろう。
初のお泊まりに心配がないと言えば嘘。フクザツな心境でもある。「拒否しているし。泊まるなんて知らない母なのに」そんな心の痛みもある。
でも、例えばこうしてNetしていても時間を気にしなくてイイ、こういう感覚は日々のデイでは味わえない。
だって、丸一日、自由なんだよー。こういうの普通に暮らしていたら絶対に分からない感覚。
思い出すのは、初めてデイサービスを使った日。一人だけで街を歩いた瞬間のあの解放感。
自由の素晴らしさを知ることが出来たのは介護生活のおかげ…。まっ、こんなふうに思うことで介護生活でも得るものがある…ということにしておこう~
ウチ、二時間ごねた。
怒り狂い、嘆き悲しみ、すごかったのでした。
でも、父の入院と言う事態が、「行かない」という選択を許さなかったので
私は最後まで、ポーカーフェイス。
二時間近くなって、母が「何を持っていけばいい?」と言い出したときは
私がなきそうになった。
でも、その夜、母のそばに、母が不安になったときに
それを見ていてくれる人が居る、と言う安心感は
何にも変えがたいものだったの。
母がショートデビューした日は、
父がアキレス腱接合後の皮膚がくっつかず、
新しい病院に賭けた接合手術の日、
手術室へ入る父を見送り
母と修羅場を演じ
旦那の舞台が京都であって、絶対に来い、
母を送ってから、京都まで走ったんです。
車を飛ばしながら、涙でた。
ごめんよって、思ったけど、
その夜疲れ果てた私は、安心して熟睡した。
母が自宅で一人で、父の入院の不安を抱えながらうろうろしてたら
とても眠れなかったと思うの。
母は・・・不安げにうろうろしたらしいけど、
それも忘れて、後は熟睡したらしい。
翌朝、血圧が今までになくあがったのは、言うまでもないんですけどね
私が病院へ行く途中で、迎えに行くまで、
何度か帰る用意をしては、怒ってたらしい。
いろいろだよね~
あ、今阪神、勝ってますぜ!今日もいけそうだね~!!
行くのを嫌がられると、辛いですね
でも、ビゴさんは毎日頑張っているから、
今は自由の時間を楽しんでください
>こういう感覚は日々のデイでは味わえない。
距離をおきながら、冷静になれる時間を持つことで、長期戦の介護に備えていけるのだと思います。
自分の時間も大切にすることだと思う。
もちろん、芯から楽しめるってことは
ないけど、それでも、やっぱりあるとないでは違うと思うし、
他人に託す心配もあるけど、介在してくれる人が家族以外にいるという安堵感もあります。
前向きに、介在してくれる人が家族以外にいると言う事が、介護者の心にゆとりを持たしてくれるのでは??
良い結果が出ますように・・
まとめて一つになってゴメンナサイ。
結果を見ると、私の心配はいらなかったみたいです。
ある意味、それだけ、母の認識レベルがホントに曖昧になっていたんだって、よーくわかりました。
トラ子ねーさんの、お母様の最初の時は、状況がホントに読んでいて辛いです。大変だったですよね。
うちみたいに、認識テキトーになっていたほうがやはり「楽」ということかもしれません。
あとは送り出しだけ頑張ればヨイという感じです。
こっちはイロイロ心配して、ドキドキしていたけど、
なんたが、母は、もう誰でもいいのかもしれないですね。
でも、帰ってきた母は、とても調子が良く、私のこともしっかり「娘」だと認知してくれてました。
刺激を受けて、多少、神経がピピッとなっていたんでしょうか