片づけをしていて古い日記を見た。ちようど、母が骨折した頃。
うちに責任はないと言っていた施設側の態度ががらりと変わり、治療費を払うと決まった頃。(簡単に言うと、私が骨折当日の朝に受けた電話の、職員の言葉の中にマズイことがあり、それであちらが非を認めたような感じ)
私自身、かなりナーバスになっていた。
リバヒリがどうなるのが、歩行能力がどうるのかもまったく分からなかった頃だし、付き添いがずっーーーと必要になった場合、どうしようか…とか。
日記の中には、ネットの仲間からエールをもらい勇気づけられ、逆に当てにならない親戚ー…なんて一言もあったりする(^^ゞ
この時、私はハングル検定三級受験を申し込んでいて、試験日は手術の一週間後。
まったく勉強しないまま(ラストスパートってやつをしないまま)とりあえず受けた(予想通りに落ちた)
で、その時の日記……
ふと思った。
以前なら、こんな試験を終えて家に帰ったら、母が「どうだった?」なんて聞くんだろうなー
でも、今は家には誰もいない。
いたとしても、私は母に試験を受ける話なんてしてないだろう。してもすぐ忘れるもの。
旅行に行ったとか…そういうことも何も言わない。
だいたい、そういうことはいつも母のいない日にやってるんだ。
それをするためにショートを使ってる。
そして、そのショートで骨折してしまった。
………こんな感じ。
こういう後悔の念。介護者が抱えるこの気持ち。
施設の人にはわからないだろうね。
預けるからには、何かがあるかもしれないと覚悟しなくてはならないのかもしれない。
だけど……
ショートを使う→転倒するかも?骨折するかも?病気になるかも?なんて預ける度に考えないよ。
信用して、信頼して、預ける。
安全性への配慮、してくれているものだと思っている。
故意ではないから、人手がないから、大変だろうという想像はつく。
介護度が重い人に手がさかれる分、母みたいに一人で歩いたり食べたりできちゃうとスタッフ側が油断する傾向はあるみたいだ。
私はシングルなので、母をショートに預けるときは、自分は野球を見に行ってたり、旅行してたりするわけで…私の都合、私の楽しみのために母を他人に委ねているという感覚。(他の家族のため…とか仕事のためじゃない)
もちろん、そうやって息抜きしないと在宅介護は出来ないし、私にも私の人生があるというのもわかってるけど。
そんなショートで骨折されるとツライ。
幸い、母は歩行に支障なく、以前とほぼ変わりなく生活しているけど、もし車イスになってたら、ますます介護は大変になっていたわけだから、ショートを使わなければ良かったという後悔をラストまで持つハメになっいたはず……なんて思うとコワイゾ。
母の場合、この先、骨頭がダメになる可能性はある。そしたら今度こそ人口骨頭だ。
家にいても骨折したかもしれないし……
365日一人で介護は出来ないし……
仕方ないことなんだけどね。
うちに責任はないと言っていた施設側の態度ががらりと変わり、治療費を払うと決まった頃。(簡単に言うと、私が骨折当日の朝に受けた電話の、職員の言葉の中にマズイことがあり、それであちらが非を認めたような感じ)
私自身、かなりナーバスになっていた。
リバヒリがどうなるのが、歩行能力がどうるのかもまったく分からなかった頃だし、付き添いがずっーーーと必要になった場合、どうしようか…とか。
日記の中には、ネットの仲間からエールをもらい勇気づけられ、逆に当てにならない親戚ー…なんて一言もあったりする(^^ゞ
この時、私はハングル検定三級受験を申し込んでいて、試験日は手術の一週間後。
まったく勉強しないまま(ラストスパートってやつをしないまま)とりあえず受けた(予想通りに落ちた)
で、その時の日記……
ふと思った。
以前なら、こんな試験を終えて家に帰ったら、母が「どうだった?」なんて聞くんだろうなー
でも、今は家には誰もいない。
いたとしても、私は母に試験を受ける話なんてしてないだろう。してもすぐ忘れるもの。
旅行に行ったとか…そういうことも何も言わない。
だいたい、そういうことはいつも母のいない日にやってるんだ。
それをするためにショートを使ってる。
そして、そのショートで骨折してしまった。
………こんな感じ。
こういう後悔の念。介護者が抱えるこの気持ち。
施設の人にはわからないだろうね。
預けるからには、何かがあるかもしれないと覚悟しなくてはならないのかもしれない。
だけど……
ショートを使う→転倒するかも?骨折するかも?病気になるかも?なんて預ける度に考えないよ。
信用して、信頼して、預ける。
安全性への配慮、してくれているものだと思っている。
故意ではないから、人手がないから、大変だろうという想像はつく。
介護度が重い人に手がさかれる分、母みたいに一人で歩いたり食べたりできちゃうとスタッフ側が油断する傾向はあるみたいだ。
私はシングルなので、母をショートに預けるときは、自分は野球を見に行ってたり、旅行してたりするわけで…私の都合、私の楽しみのために母を他人に委ねているという感覚。(他の家族のため…とか仕事のためじゃない)
もちろん、そうやって息抜きしないと在宅介護は出来ないし、私にも私の人生があるというのもわかってるけど。
そんなショートで骨折されるとツライ。
幸い、母は歩行に支障なく、以前とほぼ変わりなく生活しているけど、もし車イスになってたら、ますます介護は大変になっていたわけだから、ショートを使わなければ良かったという後悔をラストまで持つハメになっいたはず……なんて思うとコワイゾ。
母の場合、この先、骨頭がダメになる可能性はある。そしたら今度こそ人口骨頭だ。
家にいても骨折したかもしれないし……
365日一人で介護は出来ないし……
仕方ないことなんだけどね。
それを聞いた時は、単に、一人でみていたら身が保たないというような意味としてとらえていたけど、そうじゃないのね。
ビゴ母は足腰がバリバリ元気だったので、私はそういう点まっーーーーたく気にしてなくて、よもや転倒するなんて思っても見なかった。
お部屋の動線なんてのを考えたコトもなかったデス。
最近はソファでごろ寝してても落ちないように…と気をついますデス
母方の祖母はわりと若い時期から足が弱くて、歩くのがキツそうだったけど、90過ぎても、手押し車みたいのつかいながら買い物にも行ったし、骨折もせずに一生を終えました。
認知症ではなかったから、自ら用心することが出来たからでしょう。
介護者に出来ることは、ある種の覚悟と、とりあえず納得いくまで安全確保のために事前調査なり準備をすること。
そして、もしもの時に闘う力?!
正直なところ、私は今回手を抜いた、
対象が姑だったので、預かってもらえるだけで、良いと思え
お部屋や施設内部での姑の生活動線について検証しなかった
これまで、トラママの自宅以外での生活を始める時は
細部まで検討したのに…
その結果の怪我、
だから入院期間にも責任感じて、小まめに付き添ったけど
事前チェックさえやっていれば…
スタッフの緊張感も違い、事故は防げたと思えるの
うちのケースだけ…だけど
そして、うちのケースでも、事前チェックの時期は、改修工事のために義理家を片付けていた時期で、
私にはそんな時間の余裕は…なかったんだけど…
もし時間が都合できるなら、
事前チェック、おすすめです。
というのが現実のようです。
考えて見れば、家庭は本人にとっても、認知症があると言っても慣れた場所
そして、要介護者は各家庭で概ね一名
介護人である家族は少なくとも一名かそれ以上はいる
という体制。
施設ではマンツーマン体制などまずはあり得ないわけだから
手薄と言えば手薄なんだよね。
入院期間に24時間ついて下さい、と言われ
家政婦さん二人に私、健常者が三名必要だった。
無事故にする為には、そこまで必要なんだってことよね…
と改めて思ったしだいです。
だからこそ、事故、怪我、入院にならないために
細心の注意を払って欲しいけど
そのためには、多少家族は施設を恫喝しなきゃダメなのかも?(苦笑)
うるさい家族がいると、それだけ気をつけてもらえる、という構図、確かにあります。
どうなっても運命と思った方がいいのかなーと。
多分、どこで何があっても、「あののとき、こうしていたら」って、考えちゃうんだろうね。
だけど、ショートとかは、どうしても目が行き届かない場合があるって覚悟して置いて間違いないデスね。
何もなければラッキー~~。
私の経験から言えることは、何かあった場合、そのやりとりをシッカリメモするとか、電話は録音するとか、必要ってことデス。
でも、やっぱり、事故が起こったとしても、それを受け入れて、介護しないといけないんでしょうね。