「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

介護者の揺れる心

2005-04-19 | ●介護録(~2015.2月)
10日近く続いた母の外歩きに疲れ切って、ショートステイの予定を進めたら、皮肉にも母が落ち着きだす。その結果、今度は私が迷いだした。
「この落ち着きならショートを使わなくてもまだいける」とか
「かえって母をストレスにさらすのではないか」とか
「デイでさえいやがっているのに、それ以上のことを母にさせるのか」とか。
高齢者介護、とくに認知症となれば、本人を差し置いて、介護側が決断しなくてはならないから、どんな形をとるにしても、「これでいいのか」という不安、「こうしていたら」という後悔が頭の片隅に必ず残る。

ホントに介護はキツイ。

介護仲間のタンポポさんは、今、ご両親が安心して暮らせる場所をさがしている。
ここに至るまでには、紆余曲折、様々な事があったようだ。その時、その時に、いろいろなことを考えながら、最良と思える形をとってきたはずのタンボボさん。
それでも、振り返えると、「if……」という思いが湧いてくるようだ。

理屈で「○○したほうが××になってヨイだろう」と思っても、「でも、母はきっと○○と思うだろう」と、私たちは、肉親であるがゆえに、「思い」が働く。
自分の親への思い、そして、被介護者である親のが、おそらく悲しむとか、嫌がるという心の動きを先読みする。

タンポポさんが日記に中で「穏便にと思った結果」というような言葉を書いていた。
その気持ちが手に取るように分かる。
なんとか、被介護者を傷つけずに、やんわりと、悲しませず、嫌がらせず、穏やかに……そう思う。
自分も辛い思いをしたくないし、どこかで、「母がかわいそう」と思う心もある。

穏便に……母が認知症だと断定される前に、交通事故とか心臓で突然………そうなってくれたら本人は幸せなんじゃないか…
まだ、病院受診をする前、そんなことを考えたこともあった。

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4 コメント

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揺れる心 (☆(ほし))
2005-04-19 13:10:44
ウチの母は落ち着いて暮らしていて、今は次のステップ(自宅に戻すこと)を考えてます。

昨年、叔父が亡くなった翌日が認定調査だったの。

まだ、そのときは私は母を自宅に戻すことは頭に無かった。 万が一、介護度が下がって退院させられて、母の病状がまた戻ってしまったらどうしよう・・そればかり考えてました。

認定調査の日、先に叔父の死を告げれば母はショックで取り乱すだろうか。そしたら、介護度は下がらないで済むだろう。そんな事を私は考えていた。

結局は、認定調査を終えてから母に叔父の死を告げ、お線香を上げに出かけたのですが、

その日に私が考えた身勝手なこと、この先、暫く後悔することになりそうです。

ビゴビゴちゃんからすれば、とても腹立たしく感じることだろうけど、ゴメンネ。
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こんにちは (mimi)
2005-04-19 15:53:38
ビゴさんのお母様、デイに行くのを嫌がってらしたんですね

前の記事に私がコメントしたものは、ビゴさんの現状とは合って無かったです

すみませんでした
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☆ちゃんへ (ビゴ)
2005-04-21 13:29:02
腹立たしいなんてことは全然ないよ。

たまたま状況が逆みたいな感じだけど、介護する者の揺れる心という意味では同じことだよね。

○か×か答えのあるものでもないし、きっとどんな道をたどっても、後悔や不安からは逃れられないんだと思う。



どんな結果になるのか…結局それを受け止めて行くのは自分だから、なんとか平穏に、平穏にって願うのも当たり前。

楽な方法を取りたいもん!

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mimiさんへ (ビゴ)
2005-04-21 13:34:31
そんな謝って貰うようなことではないので気にしないで下さいね。



母は朝出る時に拒否感があるものの、現場では楽しんでるようです。

その拒否も、かるーーい時もあれば、1時間ねばる時もあるという、ムラのあるもの。

だから、それはそれで私のストレスにもなるんですけど、言って貰わないとこちらが困る……そんな感じです。
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