今日で、パパが亡くなって3年です。
3年半前、パパが末期がんで入院していた病室の窓は
通り沿いにありました。
近くに住んでいるわたしは
現在もほぼ毎日、その窓の下を通るのですが…
その窓のことで、ひとつの後悔があります。
。.。:*+゜゜+*:.。.*:+☆.。:*+゜゜+*:.。.*:+☆.。:
パパの病室は
正面玄関の真上にあり、
出入りする人々を
窓から見下ろすことが出来ました。
そしてその頃、
もうパパが数か月の命だということは、
パパ自身も知っていました。
お見舞い&洗濯に行って、
帰りに正面玄関を出るとき、
いつも
「パパ窓辺に立って私を見てるかな?」
と、毎回うしろ髪を引かれたものです。
しかし、さまざまな迷いが交錯して
いつもすぐには振り返ることが出来ませんでした。
このブログにも
何回か書いたことがあった気がしますが、
パパはスーパー照れ屋さんな頑固親父だったため、
まずは
「わたしのことなんか見送っているはずが…あるわけないよな」
と思いました。
うん、そーだそーだ、
あるわけない。。。
いや待てよ、
万が一パパが私を見送っていた場合・・・
私が振り向いて目が合ったなら
パパを余計に寂しくさせるんじゃないか?
それに、
わたしだって、見送られているほうが切ない。
キャラ的に絶対そんなことしそうにないパパが
もしも見送っていたなら
わたしだって悲しさが加速する。
目が合ったら、笑顔で手を振ることなんてできないよ。
などと、悶々としたまま
すぐには振り返ること出来ずに
いつも少し離れたところから
おそるおそる振り返るのですが
いつもそこにパパの姿はありませんでした。
毎回「やっぱりな・・・いや、それでいいねん」
と思いながら、帰りました。
退院までそんな日が続きました。
そして亡くなる少し前、
パパはホスピスの病床で私に言いました。
「ところでおまえはいつも、
何を耳に突っ込んでるんや。野球か、競馬か」
「え?」
「K病院から帰るときいつもすぐ
イヤホン耳に入れとったがな
わし、窓からこっそり見とったんや」
・・・・・・・。
娘を見送るだとか
そういうことが、
めちゃめちゃ似合わない人だったから
それを知った時は
哀しかった記憶があります。
死を目前に、
どんなことを
ひとり病室で思っていたんだろうなと。
もし今の記憶を持ったまま時間が戻るなら
そりゃあもぅ、
パパがはずかしくなるくらい臆面もなく
大手を振ります、きっと
↓↓ これは、ヘビースモーカーだったパパが
自分が肺がんだとわかったとき
「もう使わないからよかったら使って」と言って
くれた木のライター。
今はもう
私もタバコを吸わないので
お仏壇のお線香をつける用としてこの3年間使用しています。