今日、仕事の帰りに映画に行きました。
アップリンク京都で上映中の「EGOIST」です。
男性同士のカップル、そして家族のストーリーです。
エゴイストというタイトルからは程遠い、
愛情のいっぱい詰まった映画でした。
愛としか言いようのない行為なのに
「それは俺のエゴかもしれない」と思うこと。
それ自体がすでに愛情でしかないと。
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映画の中で、サイトーさんは
何度も何度も、いつもいつも「すみません」「ごめんなさい」と言っていました。
何も謝ることなんてないどころか、なぜ謝るのかおかしい場面にばかりです。
そのことがとても印象に残りました。
帰りの地下鉄でそのことを考えていたら、
いろんなことを思い出し、
いろんなことがつながったような気がしました。
※
最近、ある人に
「ずっと申し訳なく思っていた」と言われたことがあります。
そんなことを思っているなんて知らなかったので、驚きました。
それを聞いた私は
あなたは悪くないのだから、そんなこと少しも謝らなくていいのに…
いや、もしかしたら私が
そう思わせるような態度をしてやしないだろうかと
私のほうこそ申し訳なく思いました。
また、別の時。
階段に掃除機をかけていた私は
足を踏み外し、掃除機ごとズザザザザと落下してしまいました。
すると2階にいたその人は
急いで降りてきて
「大丈夫?! ほんとにゴメン!!!」と咄嗟にまず謝ったのです。
なんでさっき謝ったの、と笑うと
「危ないかもと思ったのに、掃除機をかけてくると言うメグを行かせてしまった、自分が悪い」
と言いました。
3年ほど前に「愛してる以上の言葉があったらいいのにね」と話していたことがあります。
たくさん考えたけれど、
愛している以上の言葉、なかなか見つからなかったんです。
でも、今日見つけたような気がしました。
全然悪くないのに、充分すぎるほどやっているのに
それでもなお申し訳なく思ってしまうこと
もしかしたら永遠に、いつもどこかで申し訳ないと思ってしまうこと。
『申し訳ない』
それが、探していた「愛してる以上の言葉」じゃないかと思ったのです。
私の母は認知症で今はもう会話ができませんが
私が子供の頃よく言っていました。
「どんな時も、被害者ぶったらあかん。
それは相手を強制的に悪者にするんやで」
いつも、そんな必要もないのに
密かに「ごめんね」とどこか申し訳なく思っていること。
こっそり自分が(いうなれば)加害者になって
相手を決して悪者にしないこと。
サンボマスター的に言うのなら
「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ!!」