よくわからない中二病全開の夢が叶うらしいけれども、
よくわからない中二病全開の夢が叶うらしいけれども、
夏の終わりは8月31日だ。
どれだけ暑くても、気持ちの上では9月は秋。
そういう感覚が、17歳の頃からずっと続いている。
17歳の夏は私の転機だった。
13歳からいつも、学校では体育以外はオール5だった私は
17歳の夏を境に、学年でビリから2番目というポジションに転落した。
急な坂道を、猛スピードで転がり落ちる
ライク・ア・ローリングストーン
我ながら笑ってしまう。
理由は、ロックにハマってしまったから。
17歳の夏に見たいろんな景色を今も忘れないなぁ
高校に入り八瀬遊園(スポーツバレー)でバイトを始めた。
バイト先の年上のお姉さんが
「彼氏のバンドのライブあるから
今日、バイト終わったらいっしょに行かへん?」
と誘ってくれて、生まれて初めて行ったライブハウスは磔磔だった。
磔磔のワンドリンクで注文したスクリュードライバーのウオッカの重さ
鎬を削る長髪の痩せたバンドマン
帰り道の鴨川に映って揺れるネオン
ちがう高校のともだちと話す、学校では絶対にしない話。
どこの誰とか関係ない世界。
17歳女子高生の疾走するスピードと一致する何かがそこにあった。
夕方までバイトして
夜はライブハウスで音楽を聴いた夏休み
八瀬遊園のプールは
8月31日で終わる。
高校生のアルバイトたちも8月31日まで。
プールが終わり、バイトが終わる最後の日。
夏が終わり、学校へと帰る日。
17歳の夏は特別だった。
大人になって、いろんな大変なことがあっても
この時期に吸収した何かが、一生自分を支える気がする。
エンドレスサマー。
息子は中3で
もうそろそろ進路を決めないといけない時期らしい。
息子の選択肢は3つ。
①がんばったらなんとか入れそうな、偏差値の高い進学校。
(ハイレベルな大学へ進学するには良いだろう)
②中堅だが大学の附属で、
大学にはエスカレーターで上がれる私学。
(わたしのように高校で勉強をしなくなっても大学には行けるだろう)
③自由で剛健な校風の公立高校。
塾の先生は①を推してくる。
でも息子には、大学の進学のために高校を選ばないでほしい
なんて密かに思ってる。
いや、学校はどこでもいいな。
それより15〜18歳のいちばん大切な時期を
めちゃくちゃ疾走してほしい。
父が他界したのは15年前だ。
しかし今でも、
父の知人だった方から声をかけられることが、たまにある。
こちらは存じ上げないのだけれど
あちらから「もしかして娘さんではないでしょうか」と。
なぜ娘とわかるのか、それは
わたしが父と同じ仕事をしていること、
わたしが旧姓で仕事をしていること、
そして顔がそっくりなことで確信に変わるそうだ。
先日も久しぶりにそんなことがあった。
そんな時、みなさん父との思い出をちょっと聞かせてくださる。
しかしそのエピソードの中の父は、
一様にわたしの知らない姿なのだ。
どんなにオモロい人だったか。
どんなに人情が厚かったか。
どんなにジェントルメンだったか。
どんなふうに優しかったか。
それらを聞くたびに
不謹慎だがいちいち驚愕する。
!(◎_◎)
私の知っている父は
オモロくもなく
ジェントルメンでもなく
わかりやすく優しくもなかったからだ。
父、スマヌ。
うすうす、
実はとても優しくて
繊細で
センチメンタルなところもあり
人情に厚く、心優しいひとだったのかもしれないと思うところはあるが
父はあまりにも照れ屋さんだった。
スタンダードな昭和の頑固オヤジなため
家族の前では、あまりそういった面を見せなかった。
なので、父の知人からお話を伺うと
ふつうに毎回驚く!
そういえば、
仕事で行った銀行の窓口で
50代くらいの女性行員さんが
「〇〇さんのお嬢さんではないでしょうか
ああお顔がこんなにもそっくりでいらっしゃる…
お父様には本当にお優しい方でした
ほんとうによくしていただいたのです」
と突然涙をポロリされた時には、
なぜゆえ銀行の窓口というお堅い場所において
突然のこの、あまりにもの感情表出!
もしかして貴女は父の愛人でいらっしゃったのか、、、?
などと不謹慎なことを、失礼ながら一瞬本気で考えてしまったこともあった。
失礼すぎますね、スミマセン笑
ーーーーーーーーーーーーーー
そんな方々のお話を聞いて
わたしが知っているのは、父のほんの一部なんだなぁとしみじみ思う。
いちばん血のつながりが濃い親子といえども
18年も一つ屋根の下に暮らしたけれど
他人さんより父のことを知らないのかもしれない。
でもそれは珍しいことではないような気もする。
思えば、わたしと、わたしの息子(14才)もすでにそうだもん。
とてもオープンに接しているつもりだけど
母親がどんなことに喜ぶかは知っているかもしれないけれど
母親がどんなことに傷つき、どんなことに悩むタイプなのかは
きっと知らないだろう。
別に隠したいわけでもないけど
カッコつけてるわけでもないけど
弱い部分をわざわざ子供に見せないもんね。
わたしだって、息子のことを
全部わかっているわけもなく。
わたしに話さないことも、
これからさらにどんどん増えていくだろうし。
親子ってほんとうに遠いもんなんだなぁ。
でもそれでいい気がする。
親子に限らず、知らない部分があるからこそ、尊重できるような気がして。
父とは、親子としてはそんなに仲良くはなかったかもしれないけど
でも、同じ年代に生まれていたら、ともだちだったらとても気が合ったかもと思う。
実はともだちよりも、なりたいものがある。
それはバンドメンバー!
あの人は実は繊細で隠れロマンティックだから
ギタリストがいいんじゃないかなぁ〰
いいギター弾きそう。
うるっ、となるようなものを見てしまった。
ミッフィーの絵のついた封筒が玄関に落ちていて
アレ、わたしのかな?と思って開けたら
息子(中3)への、女の子からの手紙だった。
中1の頃、つきあっていた女の子。
あちらからの告白でつきあったけれど
ついこないだまで小学生だった至らない息子は
女子の精神年齢の高さについていけず
彼女の気持ちに応えきれずに別れることにした、らしい。
落ちていた封筒には
2通の手紙と写真が入ってた。
1通は、付き合いだした頃の
息子のお誕生日の頃らしく。
「Happy Birthday 13才!
○○君の彼女になれてうれしいな
いっぱい好きになってもらえるようがんばります
家にも遊びに来てね
妹に会って欲しいよ〜」
のようなことが書いてあって。
もう1通は、
別れたずいぶん後
中3の最近もらったようで
「あんたが骨折して最後の大会に出れなくなって、めっちゃ怒ってたけど
一緒に、3年間吹奏楽部やれてよかった
バリトンサックスが本当にじょうずだったよ
ほんで、かまってちゃんやなw
これからもよろしく!」
みたいなことがいろいろ書いてあって、
明るくていい手紙だった。
部活で、みんなで一緒に撮った写真が入ってた。
クリスマスに、結構悲惨な別れ方をしたらしいけど
(息子のデリカシーがなさすぎて、恨まれていたとしても納得)
なのに、こんなふうに水に流して
ともだちに戻って明るくつきあってくれて
なんてすてき女子。
つきあってた時は、〇〇〇くんって呼んでたのが
別れてからは、苗字で呼び捨てなのもなんかいい。
2通のお手紙から、
青春のなんともいえない健全なものを感じて
ちょっとうるっとしたよ。
お手紙のことには何もふれず、
また、元の落ちてた場所に落としておきました。
そういえば、
自分宛じゃない、ひとの手紙を見ることって全然ないよね。
今回、たまたま知らないで開けてしまったけど
そんなことって、ふつうは全然ないもんね。
自分宛じゃない手紙だからこそよけいに
なんか、手紙って
ほんとにいいよなぁってさらに思った。
手紙って
会って話してる時より、少し改まってるのがいいんよね。
文字にすると、その筆跡が
どんな字でも、グッとくる。
筆跡って
どんな字を書くんだろう?という想像が
当たらないことが多い。
チャラそうな人が達筆だったり。
男らしい人が、かわいい丸文字だったり。
いつもきちんとしている女性が、解読できないほど悪筆だったり。
そういうのも、なんかいい。
わたしもひさしぶりに手紙を書きたい。
大人じゃない手紙を。
仕事の「お世話になっております」から始まる手紙しか
ここ数ヶ月は書いていない。
季節のあいさつから始まったりしないやつ。
拝啓とか、いわないやつ。
定型じゃないやつ。
用事のないてがみ。
青春みたいなやつ。