*「魁!!女塾」*

THE GOOD LOVIN’sというバンドでギターを弾いています
京都市在住

さばく

2014年10月28日 | blog

近所のバイク屋さんが
すだちをたくさんくれた。

すだちをたっぷり食べたいから
焼き魚に決定。

しかし。お魚を買いに行くと
いつもお魚をさばいてくれるおじさんがいない!

・・・・・。

わたしは
おさかなの内臓が怖いの~などという
か弱いキャラでは全然ないのだけど、
いつも自分さばかずに
お店のひとに
「あのー、おさかなお願いしまーす
と甘えてしまっている。
実は少しだけこわい。


おじさんがいないなら
お魚中止にしようかと思ったんだけど、
開きや干物でなく眼のきれいなフレッシュな魚を食べたかったので
自分でやることにした。


はらわたを取り出すとき
血まみれになるけれど、
けっこう楽しかった。

刃物でおさかなをさばく、
という行為が
なんだか野性的で血がたぎります。
人間の本能だろうかー。
生命力がアップしそうです。

これからは自分でしよう。


玄米ごはん、焼魚、
ほうれんそうのおひたし、かぼちゃと玉葱のお味噌汁。
白菜とおあげの煮浸し、ブロッコリーのサラダ、じゃがバター。


最近、心配事があったのだけれど
なんとか杞憂に終わりそうということがわかった。
うれしくて
誰がこんなに食べるねんというくらい
作り続けてしまった。





集中

2014年10月21日 | blog

バンドの曲を作っていた。

2曲作っているけれど、
1曲は歌詞がまだちゃんと出来ていない。


曲を作る時、
延々「鴨川デルタ」という言葉(歌詞)のリフレインだけで
1曲つくってしまった。

ほんとうに鴨川のことを考えていたんだけど
まさか延々「鴨川デルタ」と歌ってもらうわけにはいかないので
歌詞を書き直している。


いま休憩ちゅう。
コーヒーとチョコレート。


バンドやっているともだちの話を聞くと
いろんなパターンがある。


私のともだちは
実体験でなく、フィクションで歌詞を書けるひとが多い。
物語のように紡げるひとが多い。

わたしは、そういうタイプではないけれど
実体験そのものというわけでもない。


そしてタイミングだけれど、
あるともだちは、
仕事の帰りに
「あ、今夜はきっと作れる
ってわかるんだって。

私は、わからない。
音楽の神が降りてくる!なんていうことも勿論ない。

あることをとても集中して考えていると
言葉が出てくる、などという
実に非効率なやりかたしか出来ない。

集中しすぎると眠たくなるので
昨日もしていたのだけれど、
それで22時から朝7時まで爆睡してしまった。


さよならソニア

2014年10月13日 | blog



ソニアリキエル・ボーテへ
愛用のリップスティックが
残り少なくなったので買いに行ったところ

年内をもって、ソニアリキエル・ボーテは終了するのだと、
お店のお姉さんから聞き驚く。


とても残念。
ソニアリキエルの化粧品すきだった。

肌をきれいに見せる絶妙な色の打ち出しが見事だった。
鮮やかなカラーでも安っぽくなく、
どことなくノーブルなところも好きだった。


もう買えなくなるから
愛用していた2本、
ベージュとピンクを
それぞれもう1本ずつ買った。


浮気せずこればっかり使ってたから、
また新しいの、探さなきゃ。

バイバイ ソニア


おさかなLOVE

2014年10月12日 | blog

もともと化粧品会社に勤めていたのですが、
その頃今よりずっと若かったし
美の現場にいたにもかかわらず
どういうわけか、今のほうが肌がすべすべです
(あくまで当社比)。

美肌には
化粧品より、結局ごはんなんじゃないかという結論に。


「3万円の美容液を買うくらいなら、3万円分の野菜やお魚をたっぷり食べる」派です。


秋刀魚に秋鮭、鯵、鰹…
おさかなが美味しい季節です


お肉を料理したあとの
手やフライパンは
脂が白くかたまって
なかなか落ちないけれど

お魚の油は
冷めても固まらずにサラサラで、
お湯だけで流れてしまう。

お魚って、
なんだかカラダがきれいになりそう。



秋刀魚の焼き加減を厳しくチェックする4才児。
(親に似ずこまかい)
 




お魚にはやっぱりお味噌汁と大根おろし。
秋刀魚と、白ネギ&さつまいものお味噌汁
の組み合わせがすき。
お味噌汁には、胡麻と胡麻油もトッピング。


秋は、ごはんがおいしいですね。
今日もお魚買いに行こうかなぁ。

たいへんなことはいろいろあっても
ごはんをきちんと食べていれば
そう悪いことにはならないような気がする。



ゴール

2014年10月11日 | blog


今日は保育園のうんどう会だった。
パパが来てないのは
クラスでウチだけだった。


最初の年や2年目は、
なんかもう無邪気にやっているガキたちを見ると
涙がでてきて困ったものだけど
(自分の子という意味じゃなく、全般的にこどもたち)、

今年はもう4年目だし、
さすがに泣いたりするわけないし、
とシレっとしていたが、
結局、自分の子の出てないリレーとか見てまた涙が。


でも周りを見ると誰も泣いてなんかないのよ。



運動会のあいだ
ぜんぜん関係ないことも考えたりしていた。

かけっこの
白いゴールテープを見ていたら
つい、ゴールについて。



ゴールというのはある意味目的であり、
ゴールに向かって本能的にがんばって走るわけで。

たとえばしんどいことも、
ゴールが設定されていて期間限定だと
どんだけつらくてもがんばれるだろう。


だけど、もしゴールがないのなら、
どうなるんだろう。


ずっとあてもなく走り続けるわけで
それはやはりしんどいのだろうか。

そうかもしれないけれど、でも
それはそれで、急がなくていいから
たのしい時間な気もする。

ゴールに向かって走らなくていいのなら、
どのような道を通ってもいいだろうし、
道草をどれだけしてもかまわない。
そして、どこにたどり着こうが自由だ。

二人三脚も
走っている間はふたりでひとつだけど、
ゴールにたどり着いたら
結わえた紐はほどかれて別々のふたりになる。

ゴールがないのなら
あの子たちは二本の脚をひとつにして
ずっと一緒にいられるのかも。


などと妄想が暴走していたのだけど、
今日は四六時中よそのこどもたちにやたらなつかれて
つきまとわれていた。

私は子供がそんなに好きでもないし、
あまり面識のない子がなついてくるとすこし驚くのだけれど、
なんだろう、中身がコドモなのが子供たちにの眼には透けて見えるのかな。
「聖哉くんのお母さん」じゃなくて、あたしのともだちになってよ、だって


映像

2014年10月06日 | blog

ダビングしてもらった
先日のライブ映像をみました。

わたしは本番に常に強いタイプではないのですが
このバンドではステージでもあまり緊張せず
のびのびやることができます。


いつもは一緒に音をだしているメンバーを
自分が楽器を持っていない状態で見るのは新鮮です。



ドラムのMさんは
スタジオでやっているときより
断然ライブのほうが
いろんなアドリブが飛び出し、
うたごころ冴えてはります。


ギターのHさんは
1曲目で眼鏡を外してしまうけど
とても近眼だから
ギターのフレットさえほとんど見えずに
耳だけで弾いてはります。

だからたまにフレットが少しズレ、
秒速で正しいフレットに戻るのだけど
そのちょっとしたタイムラグが、
ロック好きな私の
なにかしらのツボでもあります。


(私も眼鏡はあるのですが、
遠視なので、
逆に裸眼でフロアのお客さんの表情までよく見えてしまいます)


わたしは、
かつてストリートスライダーズの蘭丸の
派手できらびやかで色っぽいステージでの佇まいに憧れたので
そういうプレイヤーになりたく思っているのですが、

ライブをすると
観に来てくれたひとから
「男前」という感想をもらってしまいます。
19才の頃からこれはよく言われます。


私は髪がとても長く
またショートパンツでどれだけ脚を露出していようとも
それでもなお、色っぽいではなく
おっとこまえ、になってしまいます。

しかし、褒め言葉として
ありがたく受け取ることにします。

「可愛い」よりも
「おとこまえ」のほうがうれしいかな。
すきなひとには可愛いと言われたいけれど。


ギターとベース

2014年10月04日 | blog

17才でギターを買ってから、
ずっとギターでバンドをしてきた。

現在はベースでバンドをしている。
ベースの経験は過去にもないわけじゃない。
でもベースを弾きながらも、
常に並行してギターでバンドをしていた。


ギターのほうが何倍も長くしているのだけど、
弾くものを褒められるのは
なぜかベースのほうが多い。


ギター長いことしてきたのに
少しだけ悔しいのだけれど、
でも、素直に思うけれど、
私はベースのほうが、
感情をリアルタイムでプレイに表わせる。
感情を爆発させることもできる。


昔はスタジオでベースを借りて弾くと
「似合わない」と言われたけれど、
最近はベースも似合うやん、
と言われるようになった。


弾いてるときではなく
聴いているときに思うけど
聴く者のせつなくさせ方が
ギターとベースでは
ぜんぜん違う気がする。


皮膚や粘膜に垂直に突き刺さり、
爪痕をつけるように性急にせつなくさせるのがギターだ。


心臓を掴むように
ぎゅぅ、と胸を締めつけ
息ができないほどに切なくさせるのがベースだ。


一乗寺について

2014年10月03日 | blog

私がいまやっているバンドは
「一乗寺ハリソン」というのですが、

わたしは左京区にある「一乗寺」という地を
こよなく愛しています。


一緒にやらないかと
声をかけてくれたバンドの名前が
もともと「一乗寺ハリソン」だったのです。
曲を知らない段階では
名前にも惹かれたところもありました。



「一乗寺ハリソン」という名前の由来については
メンバーに詳しく聞いたことはないのですが、
とにかく、
そっかジョージハリソン!!
と、たまげたものです。


うちのメンバーは
アドリブ演奏にとても強いのですが
一乗寺にあるスタジオで
何年間もジャムセッションを重ねつづけて
お互い鍛えられたのだと、
聞いたことがあります。



私は、一乗寺の川向こうの街で生まれました。

高校生になり、
ロックにハマりだした頃から
しだいに一乗寺に縁ができていきました。


バンド仲間が一乗寺在住だったり
好きなエスニック屋があったり
すきな本屋があったり
ロックの品揃えが良いレンタル屋があったりと
放課後は高野川を越えて
よく一乗寺にいました。


生まれた街よりも
いま住んでいる近隣の街よりも
一乗寺の空気感が
断然 好きなのです。

どうしようもなく
落ち着くのです。

「街」の佇まいを
ほかの街よりもはっきり感じられるのです。


失くしたくない感覚や
失いたくない記憶や
そんなものと街の風景が
ひじょうに馴染むのです。



一乗寺にいると
特に秋なんかは
空がとても青い気がしてしまう。

午後のうららかな一乗寺の表通りと
裏通りのひなびた平和なかんじ。

夕闇の一乗寺駅の
センチメンタルさとか。

オレンジ色の街燈の灯りに照らされて
ぼんやり霞む夜の曼殊院通とか。

ガヤガヤした表通りの灯りを
遠目に見ながら
夜の公園でともだちと
ブランコ漕ぎながら語らったりよくしていた。


叡電が走っていることも
おおきなポイントです。
叡電だいすき


でも一乗寺で暮らしたことは
一度もない。

がんばって働いて
いつか一乗寺にもう一軒家を買いたいくらい
たまらなく好きな街なのです。


イッツオーライ

2014年10月02日 | blog

「大丈夫」という言葉
いい言葉だなぁ。
すきだなぁ。


大丈夫には

「safe」
「fine」
「OK」
「forgive」
「It's allright」など

いろんなニュアンスがあるけれど
いずれも
相手の気持ちを救い赦す。


ついこのあいだ
メールに

「大丈夫だよ」と
書いてあった。



人間はつまるところ
「だいじょうぶだよ」と
言ってほしいのではないだろうか。

本当に大丈夫な時も
そして大丈夫でない時も。


「私はだいじょうぶ」
と言われれば、
赦された気がする。

「あなたはだいじょうぶ」
と言えば、
すこしは誰かを温められる気がする。


健やかなる時も
病める時も

「大丈夫だよ」と
言ってほしいのだ。


「人間は」じゃなくて、
「私が」言ってほしかったのだ。


作曲

2014年10月01日 | blog

先日のライブが終わり、
次のスタジオまでに
あたらしい曲を作っていこうと思っている。

作る時、
楽器は使わない。
なんだかコードに縛られてしまうような気がして
手ぶらで頭のなかで作る。


ちょっと疲れていて
頭がすこしボーっとしている時なんかがいい。

完全に覚醒していない状態。
集中して作っているときは
入眠する直前のかんじととても似ている。


しかし残念なことに、
似ているあまりに
ほんとうに眠り込んでしまう率もとても高く、
活動時間が実質みじかいのが難点


そして起きたとき、
付近に散乱する紙に
解読不明のコード走り書きや
はずかしすぎる歌詞が書きつけてあり、
ふりだしに戻る、である。


また、作曲しているときの私は
楽器も持たず
目を閉じているので
あたかも居眠りをしているようであるらしく、

先日ライブでやった曲を
数か月前に夜中リビングで作っていたときも、

自室から時折出てくる家族に

「寝てるで! 風邪ひくからここで寝たらあかん」
と注意され

「はぁい」と生返事して再び目を閉じ続行するも
またしばらくして
「また寝てるで!」と注意されながら完成させた曲である。