そっか、もうすぐ誕生日か。
と思ってすぐに、あることに気づいてしまった。パパが死んでから、はじめての私のバースデーだ。
もちろん毎年バースデーをパパと祝ったりはしない。
大人になってから、バースデー当日一緒にいるのは毎年その時の彼氏で
結婚してからはダンナだった。
パパは伝統的偏屈オヤジで、
わたしはつきあいかたにいつも戸惑っていた。
でも18歳で実家を出るまで
誕生日だけは必ず、判で押したように必ず同じ店の同じケーキを買ってくれた。
めちゃめちゃ照れ屋なのに、
アカペラでハッピーバースデー トゥー ユーを歌ってくれたパパは子供に多くを買い与えなかった。
なのに私のハタチの誕生日、突然タカシマヤに行こうと言われた。
パパに物を買ってもらうのに慣れていなかったからびっくりして思わず遠慮したら、パパは
「ハタチを過ぎたら金輪際何も買ってやらん、だから最後のプレゼントや」突然カルティエの三連リングを買ってくれた。
そしてその10年後の30歳の誕生日当日パパからケイタイに電話があった。
たびたび会う事はあっても、それまでいつも実家から電話があるとすれば
いつも母からだった。
はじめてのパパからの電話だった。
「今日仕事休みか? 今から急いで四条の寺内にきてくれ」
行くとパパが居て、突然カルティエの腕時計を買ってくれた。
10年ぶりにまたもや仰天して遠慮したが
「10年前のハタチの誕生日、これからもう何も買ってやらんと言った。
でもこれは例外や。10年ぶりのプレゼントや。
ハタチ、30才…メグミが40になる頃、俺は生きてるかわからん。
だからこれはほんまに最後のプレゼントや」
そして、私は40才になるまでまだ何年もある。
だけど本当にパパは逝ってしまった
パパが亡くなって半年、
パパがいない最初のバースデーがやってくる。
わたしを生んでくれたパパがいなくなって初めて、
本当にパパとお別れしたんだなと
改めておもった。
さよならパパ
ありがとう
昨日の金スマ、高嶋ちさ子サンが出てはった。
ちさ子サンの幼少期のエピソード、
いやぁ、もう あたしそのものやった。
兄弟をいじめてくるヤツ、よぅしばいてた(笑)。
わたし、よくドSキャラって言われるけど、
ちさ子サンは、あたしなんか足元にも及ばんくらいドSやね。ちさ子、怖すぎる・・・
「ちさ子、ドSにならなきゃ生きてこれんかったよね?」
などと勝手につぶやき、
勝手に自分を重ね合わせて観てた。
「ちさ子は、ヴァイオリンで成功して、同じ境遇の人々の希望の星になった」
って字幕が出てた。
あたしは、ちさ子さんみたいに有名人じゃないから、
こんなふうに、世の中のたくさんの人に、なにも伝えられないけど。
でも伝えたい気持ちだけは忘れずにいよう。