The Birthdayがテレビに出てた。
リアルタイムで観た!
相変わらずサイコーに粋だ。
テレビで演奏してるとき
CDの演奏とぜんぜん違ってスカスカなバンドがおるけど、
The Birthdayは
ライブの演奏とCDの空気感が変わらない。
そのまま録音されたのがCD。
ライブだとフジケンさんのギターが
CDよりワイルドなとこがすき。
今日、朝からいろいろトラブルがあって
日中イライラーとしていて、
夜になっても消耗していたのだけど
Birthday聴いて
なんか心が落ち着くー
わたし、以前から「癒し」というのがよくわからないというか
ピンとこないんだけど、
「すごく癒されるぅ」なグッズとか趣味もないんだけど、
もしかしたらこういう状態を
癒される というのかもと
さっき思った。
夜に京都シネマで映画を観ました。
「そこのみにて光輝く」を。
ひとりで夜行く映画って気楽でいい。
お客さんほとんどお一人様で
(見える範囲は男性ばかりだった)、
上映始まるまで
誰かがドリンク飲む喉の音が
ゴキュっと響くほど静か。
この映画観てよかった。
理屈じゃないもの、
「それでも」な気持ちというのは
やっぱりある。
主人公たちはみんな
人生行き詰っていて
猥雑な街で、荒涼たる暮らしをしてて
退廃的ではあるけれど、
よく考えたら、誰も最終的に逃げてなかった。
何を大切に思って
何を美しいと思うのか
ひとそれぞれ。
目を見たときに
わかるんだと思う。
自分の思う美しい心 を持った人間が。
ズバンとわかってしまうんだと思う。
またそういうのは
双方向なのではないかと思う。
そういうふうに
誰かと出逢ってしまったら
相手にとってもそうなんじゃないだろうか。
片想いなんてきっとない。
男、女かぎらず。恋愛だけじゃなくて。
うらぶれた街で
どん詰まりの状況で
けだるい雰囲気を漂わせ
髪の毛バサバサ、ぜんぜんオシャレじゃない服で
朝陽の光を背に笑った主人公(池脇千鶴)が
ぞくぞくするほど魅力的だった。
シュミーズ着て
汚い台所で
気怠くあやしいチャーハンを作ってる後ろ姿も
エロとは違う、重厚な女感。
キレイな格好して
おしゃれでステキな人より、
キレイにしてないのに
おしゃれじゃないのに魅力的
そういうのにめっぽう弱い。
それにしても
男がふたり
ボロボロで自転車ふたり乗りしてるのって
なんかいい!
キッズリターンにもそういうシーンがあったけど、
いい!
やっぱり、彼氏からもらっていちばんうれしいものって
手紙だと思うのです。
ほかのどんなものより。
カードとかじゃなくて
てがみ。
直筆って
筆跡って
こんな字を書くのね、と
あらためて愛おしさが。
筆跡って
とてもパーソナルでセクシー。
などとどうでもいいことを言っているわたしは
ここ数年男の人から手紙なんて
もらっていないのだけど、
先日、ちっちゃい男のひとから
手紙をもらいました。
息子のともだちから。
息子は「なんでやねん」と一笑に付していました。
昨日は新しいバンド2回目のスタジオでした。
音のことは
ぜんぜん言葉にしなくても
音を出すと感覚的になぜか合ってしまうまだ2回目なのに。
深夜1時に帰宅。
今朝は、チョコラBBハイパーというドリンクでドーピングをして
(↑効くのよ)
寝不足をものともせず元気に活動しました。
帰宅したら、明日発売の
The Birthdayの新曲
「くそったれの世界」がアマゾンから届いていました。
やったぁ。
この曲のヒライハルキさんのベースが
とてもかっこいい。
ハルキさんのベースは
いつも思うけど、
ガっと出るとこと引くとこの加減が
とても粋だと思う。
ストレートなロックナンバーのベースって
ベースライン動きすぎたり、いろいろ弾きすぎると
野暮ったいし、ドライブ感なくなるし
かといって、シンプルに徹しすぎると
全然ときめかないし、セクシーじゃない。
ハルキさんのベース、ええなぁって思うのは
ギリギリまで抑えて、ごく自然にとつぜん鮮やかなフレーズを繰り出さはるところ。
それも、「ドヤっ!」ってかんじじゃなくて
とてもクールに。
流れるように自然なのに
鮮やかでハッとする。
粋な人だわほんと。
私は自分の楽器がギターだから
バンドサウンドが流れると
ついギターを耳で追ってしまうけど、
The Birthdayは
圧倒的にハルキさんのベースやキュウさんのドラムを
聴いてしまうのです。
好きなバンドの新曲出るのってすごく楽しみ。
高校生の頃からそういう楽しみってトクベツだった。
今は発売より先に
ネットで聴けてしまうことが多いけど、
あれをやめて、まずCDでしか聴けないようにしたらもうたまらないよね
20代の頃に
自分にとって精神的にきつい仕事をしていた時期があって、
毎日とても消耗していた。
ストレスがたまっていたのか、
当時お酒も相当飲んでいた。
だんだんビールとかではなくなっていき、
毎日ウイスキーとかバーボンをしこたま。
石の上にも三年ということで
3年はがんばったけれど、
合うひとにとってはまさに天職なんだろうけど、
今ならもっと柔軟にやれる気がするけれど
当時は限界で、足を洗うことにした。
以降、なにか辛いことがあっても
「いや、あの頃に比べたらなんのこれしき」
と大概の事象に対して思える、「あの頃」そのものだった。
いいことももちろんたくさんあったのに、
記憶の全体像としてはなぜか
鉛のように重たくて。
ところが
先日、ひとに言われた。
「そういうひと、結構すくないですよ。
昔あの仕事してはったから、そういうことが得意なんですね」
そんなこと、考えたことなかった。
そういえば そうなのか?
これはあの頃身についたのか?
そうなのか。
それ以来、なんだかうれしい。
12年後に報われたきがする。
あぁ12年後に
こういうことに繋がるんなら
あのとき、すぐに辞めないでがんばってよかったなあって。
辛かった日々
アタマの中の年表の
「辛かった年月」には訂正線が引かれ
「12年後への布石の日々」へと
書き換わる。
そして
あたらしいバンドに
つながったんです。
磔磔のプラネットkyu 行ってきました。
磔磔 祝40周年
久しぶりに、あとさき考えずに
もみくちゃになってライブ観ました。
いいわぁ、こういう
あとさき考えない感。
明日のことなんか、知らん、って
一瞬思っちゃう。
(ま、ライブ後我に返って、
明日もちゃんと仕事に行くんだけれど)
いくつになっても
かっこいいロックバンドの前では
キッズですわ。
キュウちゃんが
普通のエイトビートを叩いてるだけでも もうかっこいい。
ビート感が粋すぎる。
昔、初めてミッシェルガンエレファントを見たとき
キュウちゃんは20代だった。
ミッシェルの時もかっこよかったけど、
45才の今のほうがドラム断然カッコイイもん。
キュウちゃんは
「バンドマン」という言葉が
特にとても似合う。
(ロックバンドは津々浦々の街で演るのが使命だ、って言ってた。)
キュウちゃんとThe Birthdayのハルキさんのリズム隊の
タイトでセクシーなビートに、ここ何年もやられてる。
また今日、
遠藤ミチロウさんの陰影の濃いオーラはすごかった
自分の遠近感がおかしくなったかと思った。
今日の出演者は
私よりずっと年上の人が多かった。
世の中には
かっこいいオヤジがいっぱいいはるな
あの熱量のすごさは一体なんだ
いま、とてもしあわせで
ぶっ倒れそうです。
いま、タクシーで磔磔へ向かっているところです。
今日は磔磔40周年ライブで、
大好きなドラマー・キュウちゃんことクハラカズユキ氏のイベントがあります。
だいすきなThe Birthdayも出ます。
1月に今日のライブのことを知って、
行けるあてもなく、
でもどうしても行きたくて
衝動的にチケットを買いに行きました。
現地販売で抽選だったから、
「これで抽選ハズれたら潔くあきらめられるやん」
って思ったのに、チケット買えて。
でも、託児所は絶対に預けないと
赤ちゃんの頃から決めてるし
ばぁばに預けたりもできないし、
こりゃダメだね、やっぱり行けないねって思ってた。
このチケットは誰かに譲ろうか、と思ってた。
なのに、ともだちが
あたしがこどもと遊んでおくから
ライブ行っておいでって言ってくれて。
ライブ行けることも
もちろんうれしいけど、
そんなこと言ってくれるともだちがいるって
とても幸せ。
ともだちありがとう!
神様ありがとう!
ダイニングテーブルの椅子。
5年目で
4脚のうち、2脚のシートが破れてきました。
張替をお願いすることにしました。
小学生の頃よく遊んでいたともだちの妹さんで
大人になってからもうずっと会っていないのだけど、
椅子張りの工房を営んでいはると
私の母から聞いていて
買ったお店で張替に出すよりも
そちらを訪れてみようと思い立ちました。
お会いしても、
ひさしぶりすぎて、誰かわからないはずって思って。
驚かせちゃおうと思ったんだけど
お店について
「あの、〇〇ゆうかさんですね?」と尋ねた次の瞬間
「あ、恵さんですね?」
お顔が子供の頃とおんなじですね、とのこと
椅子はもともと4脚ともブラックでしたが、
1脚ずつ違う色で張替をオーダーしました。
お部屋が明るくなりました。
つづき
さっき「ちいさな約束」というブログを書いてて
思い出した。
だいぶ前、
「ね、これどうしても欲しい。これあたしにちょうだいよ」
ってある人に言ったら
「これは大事やからやれん。
でも、俺が死んだらその時はおまえにやる」
と言った瞬間、目の前のマーカーを取り、
「ところでおまえ、本名なんていう?」
とわたしに尋ね、
私が欲しがったもの自体に
「〇〇 恵へ」と
さっさと記入し
あっけにとられている私の前で
「これでいつかお前のもとに渡る」と
ごく普通に言って笑った人がいました。
今はどうしているかわかりません。
わたしのもとには
未だにそれは届いていません。
大きな意味では
愚直に約束を守る人だったから
だから、今でも元気にしているんだと思って
安心します。
できるなら
いつまでも届かないといいなって
心から思います。
週末、ともだちがうちにきてお鍋をした。
冬の間にはいちどもせず、
春になってから、やおら熱々の鍋を囲んだりする。
ところで、このともだちは
私の記憶にある限り、
小さな小さなちいさな約束をも
きちんと果たす女性である。
いや、約束とまでも行かない、
「こんど〇〇しようよ」
「お、いいね」
のような何気ない会話の内容さえ、
たとえ数ヶ月後になっても
完全に実行に移さはる人。
10年のつきあいだが、
彼女のそういうところに気づいたのは
ごく最近のことだ。
えっ、そういえばアレもコレも…
以前言ってたヤツだ…
さかのぼれば
あの時も、この時も そうだった…
それに気づいたとき
「ハッ」としたものである。
つまり社交辞令を全く言わない人である。
全く、である。
彼女が「いいね」と言わないときは
きっと本当にしたくないことなのだろう。
社交辞令。
社交辞令自体を
べつに否定や嫌悪したりしないよ。
白黒つけない、つけなくていいジャンルは
必ず存在すると思うし。
わたしも
「そうですね、またいずれ」
などと言って笑顔で退散すること、ある
(でもともだちには言わないな)。
また、決して社交辞令のつもりはなくても、
いろんな機微があるように思う。
その内容が
お互いの間で旬じゃなくなってしまったり、
タイミングが悪かったり、
状況が変わったり
暗黙の了解で自然とキャンセルになる約束もあるだろう。
むしろそうしたほうがよい場合さえ
あるかもしれない。
また、忙しい相手を気づかって
約束をなかったことにする優しさもあるだろう。
また、忘れられた約束に見えて、
相手は数年越しに果たそうと思っている場合だってあるだろう。
(これは私もそうしようと思っている件がある)
だから
社交辞令を全く言わないこと、
雨が降ろうが槍が降ろうが100%約束を果たすことを
礼賛しているわけじゃない。
だけど
実現した約束が
小さなものであればあるほど
しみじみうれしいんだよなぁ。
ほんっとに。
わたしは、
約束は
実行するほう
だとおもう。
でも彼女ほど、
ちいさな約束を果たしているかと言えば、
きっとそうでないように思う。
貸してあげるねと言ってた本を
つぎ会う時に
テーブルに差し出し、差し出されること
そういうことのうれしさよ。。。。