阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

アウシュビッツで想う平和の意味

2013年08月14日 13時01分23秒 | 政治

 「アウシュビッツ」という名前を初めて強く意識したのは15歳の時。同じ年齢で亡くなったアンネ・フランクの「アンネの日記」を読んだ時でした。1942年の6月12日、13歳の誕生日に父親から贈られた日記帳に思いを綴り始めるところから日記が始まるのですが、私は冒頭から引きつけられました。6月12日は私と同じ誕生日であり、私が生まれるわずか21年前に始まった日記だったからです。隠れ家での生活の後、ナチスに捕えられ、送られたアウシュビッツ収容所は最愛の父親と永久の別れを強いられた場所でもあります。アンネ・フランクは、最後にはベルゲンベルゼンというドイツ国内の別の収容所で、15歳の短い生涯を終えたのですが、アウシュビッツという名前は私の記憶に刻まれました。

 29歳の時、会社を辞めてカンボジアでの平和構築活動に現場で関わることになったのですが、同僚だった中田厚仁さんから幼い頃に訪ねたアウシュビッツが平和活動の原点だと聞き、私の思いが強まりました。国会議員として仕事をさせて頂くことになって、一度は行かねばならない場所と強く意識しました。

 三高さんが前回のブログに書いてくださったコメントの一節、引用させて頂きます。私も同じ気持ちです。

「アンネの日記」の中では、こんな一小節があります。

『それでもわたしは信じています。人間の本質とは善であることを』
 2年間にもおよぶ過酷な潜伏生活をおくりながらも、この言葉を発することができたアンネフランク。このくだりになると、涙なくして読み進めることができません。

 この8月10日、アウシュビッツ(アウシュビッツ・ビルケナウ・ナチスドイツの強制絶滅収容所)を訪ねました。人類が、その「知恵」を同じ人間を絶滅させるために使った象徴的な場所、アウシュビッツ。人間の本質は善と信じて日記を綴ったアンネがどのような思いでこの収容所で日々を過ごしたのかと思うと、戦争を憎む思いがさらに強くなりました。 

 ひとりの政治家として、人間として、二度とこのような悲劇を繰り返すことのないよう、もう一度原点に返って政治活動を行う決意を新たにしました。


写真上:数千人が銃殺された「死の壁」


写真上:真っ暗な貨車の中に数日間、水も食料もなく80人もの人が詰め込まれたそうです。


写真上:アウシュビッツ第二収容所ビルケナウに引き込まれた線路。多くの人は直ちにガス室に送り込まれたそうです


写真上:証拠隠滅のために爆破されたビルケナウのガス室


写真上:丁寧にに説明してくれた現地ガイドの女性


写真上:預けるだけと聞かされ名前が書かれた鞄


写真上:ガス室で使われた殺虫剤チクロンB


写真上:電流が流れる有刺鉄線。絶望のあまりわざとふれて自殺した人も後を絶たなかったそうです。