今回のマラソンで一番嬉しかったこと、それは、「恩人であるアントニオ猪木議員にお礼を伝えたい!」とのオルズベック・ナザロフ元議員との4年前の約束に応えて、首都から遠く離れたイシククル湖畔まで猪木議員と同行できたことです。私は1990~1992年にかけて協栄ジムで彼と一緒に練習したボクシングの仲間でもあり、キルギス最初の、そして唯一の世界チャンピオンにもなった国民的英雄です。彼が日本に来るきっかけは1989年、猪木さんが『ペレストロイカ・ボクサー』として旧ソ連の実力者だったナザロフ氏をスカウトしたことがきっかけでした。3人の友情を育むことができ、マラソンの開会式の舞台でキルギスの多くの方々にもこのストーリーを伝えることができ、素晴らしい機会になりました。
私自身は、大会のアドバイザーとして開会式や表彰式で挨拶や賞品の授与を担当させてもらった他、『コスチューム・ラン』の部(5キロ)を走りました。最初はハーフマラソンを走る予定だったのですが、3月31日に椎間板ヘルニアと診断されて無理はできないと判断し、予定を変更しました。(統一地方選挙の応援をしながら気合で治しました!)結果はこちらで優勝し、表彰する予定が表彰もされることになりました!!
もう一つ、嬉しいことがありました。3年前のレース中に、近くの村で生まれた男の子と再会したのです。その父親と村長は、大会の実行委員長でもあった私の名前をつけてもいいですか?と聞きに来ました。嬉しいのですが、いくらなんでもナオトでは苛められるかもしれない。キルギス人に相応しい名前の方がいいはずと思い、いくつか候補を挙げてもらった中で私が決めることになりました。私に似た名前「ナルボト(昔の皇帝の名前)」をはじめ、いくつかの候補を挙げてもらいましたが、その中で私が選んで「クバヌチベック」という名前になりました。キルギス語で「幸せ」「喜び」という意味のこの名前。世界一美しい湖畔で、世界一幸せな大会の日に生まれた男の子に相応しい名前だと思います。
実は、カンボジアには私の名前をつけてくれた男の子がいます。当時、平和構築活動として除隊兵士の社会復帰を支援していたのですが、バッタンバン州のKing氏の子どもがNaotoと名付けられました。何とキング・ナオト君です!しばらく会っていないのですが、今はどうしているのでしょう。会いに行きたいものです。
アントニオ猪木議員、ナザロフ氏と一緒に
マラソンの号砲はもちろん「1・2・3・ダー!」でした!
今回唯一?のレース中の写真です。100人以上の沿道の方々とハイタッチをして、マスクをつけたり外したり・・・。忙しいマラソンでした!
サマコフ議員の姪っ子、ナシカットさんと。このような写真、マラソン参加者とたぶん200枚ぐらいは撮りました!
コスチューム・ランの文化はまだまだ未熟。この格好で走れば優勝するしかなかったようです。
少し緊張気味のクバノチベック君と
13年前、King Naoto君と
サマコフ議員から贈られた民族衣装を着て。猪木議員はキルギスから帰ってすぐ、『イノキ・ゲノム』にこの格好で登場したそうです!
(デイリースポーツ新聞社の写真より)