中国が申請した『南京事件』での旧日本軍の行動についての資料。これらがユネスコの世界記憶遺産に登録されることが決定しました。有力政治家からユネスコへの分担金の停止・削減を検討すべきとの意向が示されています。中国側の視点だけで登録されてしまい、チェック機能が働かなかったことはユネスコ側の大きな問題であり、この点の改革を求めるのは当然のことです。一方、事前に察知し適切な働きかけをおこなうことが外交であるはず。このような結果になったことは安倍外交の大きな失点であるとも思います。また、分担金を削ることが戦略として効果的なのか、疑問です。
私自身も『南京大虐殺記念館』を見学しましたが、至る所に中国側が主張する犠牲者数『300000』が展示され、入ってすぐ、非人道的な殺害によって絶たれてしまった親と子の絆を描いた芸術作品が展示されるなど、人間の根源的な感情に訴えるように作られています。一方で、我々が憎むのは侵略戦争自体なのだとのメッセージも強調されていて、例えば広島の平和記念資料館などに比べると遙かに人々の心を打つように作られていると思います。
一方で、展示されている虐殺資料が本当に全て日本軍によるものなのか、私には判断できません。中には中国兵によって行われたものもあったかもしれません。信ぴょう性に疑問を持つ資料としては、撫順戦犯収容所には同じ収容所にいた溥儀が解放されたことに喜び『興奮した戦犯が溥儀を担ぎあげた』と書かれている同じ写真が、南京大虐殺記念館では『日本戦犯が特赦の知らせをもらった時に興奮して止まず』と自分たちの解放を喜ぶ日本兵というような記述になっています。どちらが正しいのでしょうか?
不都合な真実を直視することの難しさ-安倍談話と『撫順の奇跡』に学ぶ
日本政府の公式見解は、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であるとされています。私も同じ印象です。2010年に報告書を出した日中歴史共同研究ではが虐殺行為に及んだ日本側に責任があることでは一致したけれど、犠牲者数について日本側は20万人を上限に4万人、2万人などの推計があるとの主張でした。
以前、アウシュビッツ強制収容所の記念館を訪問した時、人類がその英知を、もっとも非人道的にマイナスの方向で使った場所との印象を持ちました。まさに殺人工場のようなあの場所できわめて長期間のうちに数百万(ニュルンベルク裁判は、「アウシュヴィッツで400万人が死亡した」と認定し、オシフィエンチム博物館の碑文にもそのまま「400万人」と記載されていたが、冷戦後の1995年「150万人」に改められました。これ以外の数値を挙げる研究家や学者もいます)
アウシュビッツと比較しても、僅か6週間で30万人を殺せるのか、非常に疑問を持ちます。おそらく『南京』の定義も日中で異なるのでしょう。しかし、その犠牲者が例え10分の1、100分の1であっても、原爆と同じく人類に対する大きな罪であるとの強い印象は変わりません。
ユネスコ憲章では『心の中に平和のとりでを築かなければならない』と述べられています。南京事件の残虐性を軽んじることなく、一方で、日本側の主張はしっかりと伝えた上で、日中両国が歴史認識について良い方向に踏み出すきっかけを作る姿勢で臨むことを求めます。
殺された母の乳房にすがりつく乳児と泣き叫ぶ幼児の像
逃げ惑う母親と子供たちの像
力尽きた妻と逃げる男性の像
中国によって救出されたとされる朝鮮人の慰安婦
『日本戦犯が特赦の知らせをもらった時に興奮して止まず』
『興奮した戦犯たちが溥儀を担ぎあげた』