今年は秋の臨時国会開会まで約2ヶ月あります。昨年、一昨年はほとんどなかった休会中の過ごし方として、今年は私自身の原点に返り、平和構築や民主化支援の現場に行くことで、日本が世界に貢献できる価値とは何か、自分自身が日本の民主主義を機能させるために貢献できることは何なのか、もう一度見つめ直したいと思っています。
さて、カンボジア総選挙が28日に終わった後、ナカタアツヒト村(コミューン)を訪問しました。ここは、1993年に行われたカンボジア総選挙を実施するための国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の国連ボランティアとしてコンポントム州で活動していた中田厚仁さんが射殺された場所にできた村です。お父さんで国連ボランティア終身名誉大使である中田武仁氏が中心になった作った中田厚仁記念基金によって学校が建てられ、現在は300人の生徒が学んでいます。
「アツ村」は洪水で村が呑み込まれ、壊滅の危機に見舞われたことがあります。中田武仁大使は「アツヒト村を救おう」と呼びかけ、集まった四百万円を被災した人びとの食糧など緊急生活物資の費用に充てるよう贈りました。しかし、アツ村の人々は、カンボジアの悲劇は人材がなかったことが原因で、これからは何よりも教育が重要で、この四百万円を学校建設に充てたいと熱望していました。そうして建てられたのがこの学校です。
アンコール遺跡があるシエムリアップから片道3時間の道のり。今は学校は休みですが、数人の先生と生徒がいたので一時間ぐらい話を聞くことができました。アツ小学校・中学校がこの村の教育に大きな役割を果たしていること、一方で、そばに建てられた診療所は現在は医者がいなくて機能しなくなっているなどを話して頂きました。11年ぶりに訪ねた感動と、寂しさが入り混じった気分でした。
中田厚仁さんの活動は、下記の番組でもわかりやすく紹介されています。
世界を変えた100人の日本人 中田厚仁
今年は予算委員会でも、衆議院本会議でも、「誰かがやらねばならないことがあるなら、僕はその誰かになりたい」との彼の思いを紹介し、未来を守るための本物の改革を行う意志があるのか否か、政府に質しました。彼の死からちょうど20年たった節目の年であるからこそ、私自身の覚悟も問い質さなくてはとの思いが、原点回帰の最大の理由です。
さて、中田厚仁さんは、商社マンだったお父さんとともに、小学校時代をポーランドで過ごし、お父さんに連れられてアウシュビッツの収容所も訪れています。私自身、地方での任務に備えたプノンペンでの研修中、ルームメートだったこともあり、アウシュビッツでの経験がカンボジアで平和活動を行う上での原点だったことを何度も聞きました。
そんな彼の原点を綴った中学一年の時に書いた「ポーランドの福祉」という作文を、お父さんが講演で紹介されていたので、引用します。
僕は今思います。ポーランドの人たちは、福祉というものをお金持ちが貧しい人に施しをするようなものだとは決して考えていない事です。その考えの底に強く流れているものは、自分たちよりも力の弱いものに対する暖かい思いやりのある心です。 ・・・
それは、 ポーランドの人たちが戦争という不幸な体験の中 で、多くの同胞を失い、財産を失い、生きていくために必要な最低限度のものさえ失った中にあっても、決して失わなかったものです。・・・
僕が見てきたポーランドの人たちはこう言っていました。
「人はパンのみにて生くるにあらず」。僕は今強く思います。
僕たちの国の福祉もパンだけであってはならない。
彼の原点もしっかり感じたいと思い、今日からポーランドに来ています。アウシュビッツなどを訪問し、平和について対話することが最大の目的です。
写真上: アツ小学校・中学校のプレートの中の中田厚仁さんと再び握手
写真上:1992年9月8日、任地コンポントム州に出発する中田厚仁さんと握手する私(腕だけ写っています)
写真上:プノンペンでの研修中、宿舎前で中田さんと一緒に(1992年8月)
写真上:学校の正門の前で
写真上:11年前に訪れた学校の様子。
写真上:今回案内してくれた先生、そして子供たちと
写真上:車内で射殺された中田さんは、このあたりに投げ出されていたそうです
写真上:アツ村の入り口で
最後にはベルゲンベルゼンというドイツ国内の別の収容所で、15歳という短い生涯を終えることとなりますが、アウシュビッツは最愛の父親とも永久の別れを強いられたところとなります。
「アンネの日記」の中では、こんな一小節があります。
『それでもわたしは信じています。人間の本質とは善であることを』
2年間にもおよぶ過酷な潜伏生活をおくりながらも、この言葉を発することができたアンネフランク。このくだりになると、涙なくして読み進めることができません。
奇しくも阪口さんの誕生日6月12日は、アンネの誕生日(1929年6月12日)に重なります。
ぜひアウシュビッツでアンネを感じてきてください。否、アンネフランクひとりではなく、何万、何十万という声なき声をきいてきてください。
そして、ひとりの政治家として、二度と同じ悲劇を繰り返すことのないよう、これからの活動の指針としていってください。