阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

再び、中田厚仁さんと桜の思い出

2007年04月08日 18時36分02秒 | 政治
 県議会議員選挙が終わりましたが、私にはゆっくりしている時間はありません。全く手をつけていない2日後の引越し準備をしながら、これまでお世話になった方々、これからお世話になる方々に報告&挨拶するため、電話やメールに向かって1日を過ごしています。

 春ですね…!

 今年はもっぱら街宣カーの窓から春の訪れを感じていました。新しい生命が芽吹く季節。瑞々しい緑、色とりどりの花が、日々風景を明るく染めていく様子に、心を動かされていました。

 その中でも桜は私にとって特別な花です。その想いは、14年前の今日、決定的になりました。

 カンボジアで国連ボランティアとして共に活動した中田厚仁さんが射殺されたのは、1993年4月8日のことでした。酷暑のカンボジアに桜はありませんでしたが、悲報を聞いた中田さんの家族は桜の一枝を持ってプノンペンにやって来ました。厚仁さんが生まれた時に庭に植えた桜の一枝だったそうです。

 親おもう 心にまさる 親心 けふの音づれ いかに聞くらん

 これは、吉田松陰が刑死した時、親より早く逝く不孝を詫び、親の嘆きを思って詠んだ句と言われています。自ら志願して赴いたカンボジアで若い命を散らした最愛の息子。その知らせを聞いたご両親の思いはいかばかりだったことでしょうか…。

 しかし、告別式における中田さんのお父さん-中田武仁氏のスピーチは、本当に見事なものでした。25年の人生最後の瞬間まで信念に基づいた行動を全うした息子への愛と、仲間への尊敬にあふれたスピーチ。「彼の死を無駄にするかしないかは、私たちひとりひとりの今後の行動に懸かっているんだ!」国連が一国の代わりに行う平和維持活動。史上初の試みに参加するため世界各国から集まってきた仲間に同じ思いを共有させたのは、温かく毅然としたこのスピーチだったと思います。

 1995年10月1日。私自身もカンボジアで武装集団に襲撃されたことがあります。カンボジアでの選挙の実施に関わった一人として、3年後のカンボジアをレポートする番組「新生カンボジア・3年目の現実」を取材した直後のことでした。

 命の終焉を覚悟した恐怖。一瞬の後に実感した生きる喜び。それは自分にとって運命的な瞬間でした。自分の命が大切であると同時に、他人の命も同様に尊いのです。それが理不尽な戦争で奪われることがあるとすれば、何と悲しいことでしょう。

 身近な人が命を奪われ、自分自身も命の危機に瀕した経験は、自分の使命、方向性を明確にしてくれました。戦争を知らない世代の目で戦争の悲惨さを伝え、紛争解決、平和構築に寄与すること-私の活動の原点は、全てそこにあります

 「僕の夢は世界を平和にすることなんです」ルームメートだった中田さんは、幼い頃ポーランドで見たアウシュビッツの記憶と共に、彼を駆り立てた思いを話してくれました。彼は命を失った代わりに平和構築活動や国際ボランティア活動に光を当て、間違いなく日本人の価値観にも変化をもたらしました。中田厚仁さんが渡してくれたバトンをしっかり繋ぐ責任。多くの人々と共に果たしていきたいと思っています。

 政治の最大の目的は平和と安心をつくること。私には再び機会が与えられました。今年も桜を見れた喜びを感じながら、自らの使命を果たす決意を新たにしています。

写真:1992年、任地コンポントム州に向かう中田厚仁さんと握手する私


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5 コメント

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政治家として必要な資質 (MW)
2007-04-09 07:56:31

お久しぶりです。選挙の応援、本当にご苦労様です。中田さんとの文章を読んで、政治に対する阪口さんの使命感、改めて強く感じました。このような思いで政治に取り組んでいる阪口さんには、何としても国会に行ってもらいたいです。阪口さんの経験は政治家として必要な資質だと思います。ぬるま湯の2世、3世議員はもうたくさんです。
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阪口先生から学んだこと (斉藤大輔)
2007-04-09 22:12:14
阪口先生 選挙支援活動、本当にお疲れ様でした。
今度の夏は、いよいよ阪口先生の番ですね。
どうか絶対に勝ってください。

4月8日は中田厚仁さんの命日だったのですね。
もちろん僕は中田には会ったことがありませんが、先生の書かれた本「心にかける橋」を読んで、中田さんのことを知りました。
阪口先生の本、当時国際協力を学ぶ僕たち学生にとりましては、まさにバイブルのようなものでした。本当に大きな感銘を受けたものです。
僕もあの本に感動し、カンボジアへ行きました。そしてプノンペンの、もう名前は忘れましたが、あるお寺で中田さんのお墓をお参りもしました。お墓の墓碑には、「地球市民ここに眠る」と書いてあったように記憶しています。そしてその墓碑は、中田さんのお父さんがつけたものと知り、なんて人間の大きなお父さんなんだろうと思ったものです。
いつだったか、阪口先生は、学校の授業の中でその中田さんのお父さんをよんで、講演をしてもらったことがありましたね。
素晴らしいお話しでした。阪口先生の授業から、僕たちは本当に多くのことを学びました。阪口先生の意志を受け継いで、カンボジアで学校を作る活動をしている卒業生もいますよ。
僕たちはもう学校を卒業していますし、阪口先生は今、国会議員を目指していますが、いつかまた阪口先生の授業を受けられたら素敵だなと皆で話しています。
先生は国会議員になっても、いつまでも僕たちの先生でいてください。


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Unknown (紀の川市民)
2007-04-10 01:27:38

何て素敵な文章でしょう。和歌山出身ではないことを知ってガッカリしていましたが、この文章を読んで、阪口さんのような方にこそ国会議員になってもらいたいと心から思いました。応援します。
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和歌山のみなさまへのお願い (斉藤大輔)
2007-04-10 15:52:20
たまたま阪口先生は和歌山で生まれ育ったわけではありません。でも和歌山出身の方々も、阪口先生も、それにこの僕も、みんな同じ地球市民のひとりです。
阪口先生は紛争地の平和構築活動などで、国境も関係なく活動されてました。ましてやこの日本の中で、大阪出身とか和歌山出身とか、先生の場合はあまり大きな意味はないかもしれません。
すみません、若輩者の僕が言えることではありませんが。
僕がお願いしたいのは、和歌山の皆さんにも、阪口先生を応援してほしい、ただそれだけです。阪口は必ず期待に応えてくれますよ。

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追記&お詫び (斉藤大輔)
2007-04-10 15:58:11
すみません。
上の文章の最後から2行目のところで、阪口先生の敬称を付け忘れました。
さらにさかのぼれば、4月9日に投稿した文章の中でも、中田さんとすべきところを中田と呼び捨てにしてしまいました。
社会人になっても、相変わらずうっかり者の斉藤です。
あらためてお詫び申し上げます。
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