この日曜日は、「井澤弥惣兵衛さんを知ろう会」主催のフィールドワークに参加。約50人の参加者とともに、海南市の灌漑事業に大きな功績のあった井澤弥惣兵衛為永ゆかりの場所を約3時間かけて歩きました。
井澤弥惣兵衛(いざわやそべえ)は、1663年に現海南市野上新に生まれました。紀州二代目藩主徳川光貞に仕え、亀の川を改修して新川を築き、その後、地域の大きな貯水池である亀池を造りました。その後、「佐々の井」用水の工事を手掛け、およそ2.7キロの延長改修事業を行い、長い間水不足で苦しんだ海南市の中野上、北野上地方の水田を潤しました。
実は、井澤弥惣兵衛の家は、私の父が育った家から歩いて1分ほどの場所にあります。従って、私の叔父からは、その偉業について度々聞かされていました。2010年に亡くなった叔父雄三は、駆逐艦「初月」の奮闘を描いた「誰も知らないレイテ沖海戦」や、西郷隆盛の生涯を描いた作品などの著者でもありました。地域にゆかりのある人物の足跡には大変熱心に調べていたので、その一端を私にも話してくれていたのです。
日曜日のコースは、野上八幡宮→菩提寺の宗光寺→佐々の井→生家跡→お墓→井沢弥惣兵衛の碑→野上八幡宮の散策でした。また、野上八幡神社の宮司、薮眞夫さんが、野上八幡神社に展示されている自筆の寄進状(逝去の数か月前作成。4石1升3合の田地を寄進)などについて説明してくださいました。
地域の偉人についてさらに勉強を続け、是非、その足跡を多くの方々にも伝えていきたいと思います。
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出発地の野上八幡神社
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菩提寺にて
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溝ノ口遺跡。このあたりは縄文時代から室町時代までの住居や生活道具などが発見されています。
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私の父が育った家。海南市野上新にあります。かつては祖父・直次郎が自転車屋を営んでいました。孫の中で唯一「直」の字を頂いた私が自転車に乗って活動しているのも運命を感じます。
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井澤弥惣兵衛
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井澤弥惣兵衛の花押。宮司さんに頂きました。寄進状が入っているケースの上に置いていますが、当時のサインと同じデザインになっています。
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私の従妹、阪口鶴代が野上八幡神社に寄進した絵。東京芸大で平山郁夫氏に指導を受けていたこともあり、この絵の作風は少し似ている気もします。