昨日、民進党の常任幹事会で、三重4区(松阪市、津市の旧久居市および一志郡、多気郡)の総支部長として公認を頂きました。本日午後、三重県庁にて記者会見を行う予定です。新しい選挙区で再び国会を目指して挑戦できることへの使命感と感謝の気持ちで身の引き締まる思いです。
私を国会に送って頂き、政治家として育てて下さった和歌山の方々には心から感謝を申し上げます。衆参同日選挙の可能性も高く、これからは三重4区での活動に奔走する日々になりますが、お世話になった方々にはできる限りご報告に伺いたいと思っています。和歌山で私の活動を引き継いでくださる坂田隆徳参議院候補予定者ともども、引き続き宜しくお願い申し上げます。
民主党と維新の党の合流により民進党が発足したことに伴って、多くの候補予定者が選挙区調整の対象になっています。今回の件で尽力して下さった全ての方々に心からお礼を申し上げます。一度は民主党を離れた私を、「新しい政党として一致結束して前に進む象徴になって欲しい!」とチャンスを下さった中川正春衆議院議員(ミャンマーの民主化を支援する議員連盟会長)には感謝の言葉もありません。
私が引き続き尽力したいと考える政治的テーマは世界の紛争解決、そして民主化に貢献すること、今ある自然や人的資源を活用し、日本をエネルギーや環境、少子高齢化などの問題を先駆けて解決する課題解決モデル国家にすることです。一部の人だけがますます豊かになり格差の拡大が進む不公平な社会。これは日本だけでなく、世界で深刻な問題になっています。不公平を生み出す構造自体を変えるため、今、世界で多くの人々が立ち上がり、力を合わせています。彼らと連携を進めながら、日本こそが率先して新しい社会、経済モデルを構築できるよう国会で問題提起を続けるのが、私のテーマです。
名古屋大学大学院(国際開発研究科博士後期課程)に在籍していた時、発展途上国における民主化の程度と社会開発の関連性について研究していたことがあります。関連研究として、三重県における政治改革の取り組みについて調査・考察する機会があったのですが、国会議員、地方議員、また知事をはじめとする首長が連携し、地方から新しい政治を生み出す挑戦に感銘を受けました。国会議員になってからも三重県の政治を注視していましたが、今回三重4区から日本の政治の在り方を変える挑戦ができることには心が躍ります。
先月(2016年3月)、ミャンマーの民主化支援をテーマに米国ワシントンD.C.で講演し、米国の市民社会の方々と意見交換をする多くの機会がありました。今、大統領選挙は予備選の真っ最中。民主党のサンダース候補が、軍産複合体、ウォール街の金融業界、巨大エネルギー企業などの既得権を守ろうとするこれまでの政治と闘い、社会の不公正を正そうとする姿を市民社会や若い世代が熱狂的に支持する姿に感銘を受けました。また、台湾においては国民不在のまま中国との『両岸サービス貿易協定』を進める政府に学生が異議申し立てを行い、多くの市民を巻き込んだ『ひまわり学生運動』に発展。それが8年前に政権を追われた民進党による政権交代(2016年1月)につながった様子を目の当たりにしました。
私は、このような主体的な意志をもった市民社会(civil society)の力こそ、日本社会を変革する力になると確信しています。少子高齢化と人口減少が加速し、1000兆円を超える借金を抱えた今、日本を立て直し、もっと魅力的な国にするには新しい発想が必要です。ひとりひとりを大切にし、出番と居場所を作れる日本、異なるものを受容できる共生社会の実現できる日本、環境問題やエネルギー問題など人類が直面する様々な問題解決のモデルを示せる日本、国際社会の平和の実現に寄与できる日本、そんな日本にするためには、同じ理想を持って社会を変えようと行動する各国の市民社会と国境を超えて連携することが不可欠。民進党はそんな人々と歩む政党であるべきであり、私も自分自身の経験を活かし、率先して双方をつなぐ役割を果たしたいと思います。働く人々、納税者、そして弱者の視点に立ち、未来への責任を果たせるよう努力を続けることが私たちの使命と考えています。
かつては本居宣長を生み、『お上』に頼らない独立心豊かな気風、そして気骨を持つ三重4区の方々。このような挑戦に最適の地だと確信しています。皆さん、是非、一緒に歩み、闘いましょう!
震災などの自然災害や近隣諸国からの脅威など、今は身の回りに多くの危険が潜んでいます。
その一方で多くの政治家は、そうした危険に対して政局を見据えた動き方しかしていないように思えてなりません。
阪口さんは議員になる以前から、ボランティアとして阪神大震災の現地支援に行かれたり、あるいは海外においてもスマトラ沖地震の被災地支援に駆けつけたりしていた姿を私は間近で見てきました。
そのスタンスは議員になってからも変わりませんでした。常に損得抜きの「現場主義」が根底にあったものです。
損得を考えれば、票につながりにくい外交には多くの政治家は関心を寄せません。
しかし阪口さんは、外交問題に積極的に取り組んでもきました。
本来、外交があってこそ私たちの市民生活は安心のうえに成り立つものなのですが・・・。
「戦争」の反対語は「平和」ではなく「外交」なのですから。
物凄く誠実で、しかし政治家としてはあるいは不器用なのかもしれませんが、そんな人だからこそ再び永田町に戻ってもらいたいもと切に思うところです。
新天地でのこれからの活動に大いに期待しています。