昨日の、アウンサンスーチーさんとの会談について、もう少し詳しく書きたいと思います。
場所は、スーチーさんの自宅。会見の場は、父・アウンサン将軍の大きな肖像画が掲げられた、時々ニュースでも流れる場所です。質素な雰囲気ですが、エスニック風の趣味の良いテーブルと椅子。テーブルの上には手作りの陶器の上に、クッキーとお茶が並べられて、客人を歓待する温かい雰囲気が作られていました。
まもなくアウンサンスーチーさんが登場。凛として美しい、16年前に話した時と、ほとんど変わらない姿でした。背が高く、姿勢が良いのが印象的。明るい笑顔で迎えてくれました。
私はまず、対話集会の時に彼女を撮った16年前の写真(フォトスタンドに入れたもの)を渡しました。「マハートマ・ガンジーの話、よく覚えていますよ。同じ写真をずっと家に飾ってあるんです」と言うと、彼女は「まぁ、それは嬉しい!」と言うような輝く笑顔をみせてくれました。
私はスーチーさんは日本政府の対応に対しては相当フラストレーションを持っていると民主化勢力の方々から伺っていました。従って、日本への期待や不満などが一気呵成に語られるものと少し身構えていたのですが、終始和やかな雰囲気で進み、30分の予定が1時間を少し超えるまで会話が続きました。時間には厳しい方と聞いていましたが、30分を過ぎても彼女の方から時間を気にするそぶりも全く見せませんでした。
また、岡田元外務大臣や前原元外務大臣との電話会談の時のように、頑なに自分の意見を主張する様子もなく、こちらの話をじっくり聞き、また、早口もならず、落ち着いた雰囲気で話をしてくださいました。
時折こちらの目を見てはニッコリするような表情も見せるなど、終始リラックスした様子でした。外務省の方は、こんなスーチーさんを見るのは初めてというぐらいでした。
会談の概要は下記のとおりです。(S=阪口直人 A=アウンサンスーチー)
私自身、様々な紛争地域で民主化支援や平和構築に携わっていたと自己紹介し、1992以降、カンボジアの選挙に関わった話をしました。
A:カンボジアの民主化の現状について彼女の分析を話す。「選挙は民主的であっても、議会運営が民主的でなければ意味がありません」ビルマにおいても1990年の選挙自体は自由で公平だったが、法の整備が十分ではなかったため、民主的なプロセスに移行できなかったと法整備の重要性に言及。
S:日本として選挙に対する監視、議会や国会議員の日常活動を監視・報告する民主化支援NGOなどを育て支援することも可能であろうと提案。(→カンボジアには同様の活動をしている現地NGOがあることを共通認識していることに立っての提案)
S:テイン・セイン大統領の改革姿勢と、タン・シェ元議長の影響力について質問。
A:「タン・シェ元議長はもはや直接政策決定に関わっていません」とのこと。テイン・セイン大統領の改革の方針は変わらないが、軍や政府の中にはまだ守旧派がいるとのことでした。
S:4月1日の補欠選挙で勝ち、さらに3年後の総選挙で勝利した場合、あなたが大統領になることで、ビルマの改革が一気に進む可能性があると思うが、どう思っていますか?
A:直接は答えず(直球過ぎる質問ですね!)国軍の在り方が一番のポイント。今の憲法では、大統領になっても国軍の意向が大きい。(非常事態として大統領を解任できる)したがって憲法を改正する必要がある。現在、議会の4分の1が軍の議席であり、憲法改正には4分の3以上の賛成が必要なので難しい状況だが、軍の中にも改革派はいて、彼らを説得できる可能性もある。
S:日本に期待することは?
A:政府よりも国民を支援して欲しい。国民のニーズが何か、しっかり確認して欲しい。
S:日本は、環境技術や法整備支援、人材育成などをパッケージで行うことで、中国などとは違う価値を与えることができると確信している。
A:日本でなくても、国民にプラスになる政策を実施してくださればいいのです。(「日本の特別な役割」については、あまり乗ってくる様子ではなかった)
「公益資本主義」について説明。原丈人さんが作成した資料については、興味深い様子で受け取って頂く。
S:ムハマド・ユヌス氏などとも連携し、貧しい人々を受益者にして、市場そのものを広げるシステムと経済理論を作っています。NLDの経済政策にもきっと参考になりますよ。と、説明。
A:ムハマド・ユヌス氏がグラミン銀行を通して開始したマイクロクレジット等については、成功例、失敗例の両方があることを理解しています。BRAC(バングラデシュのNGO「バングラデシュ農村向上委員会)のやり方の優位性もありますし、いろんな実例をそのままビルマに当てはめるのではなく、どのような方法がビルマにいいのか、ビルマの人々と相談しながら進めていくべきとの考えを示す。
全体として海外のニュースにも非常に関心が高く、よく勉強している印象。
S:今後のスーチーさんご自身のスケジュールは如何でしょうか?
A:補欠選挙に向けての「党務」(政策作り、候補者選定や応援)で本当に忙しくなると思います。選挙が終わったら、ビルマの発展の在り方について、またお話できると思います。
会談の一部ですが、だいたいこんな流れでした。
本当に膝がふれ合うかのような距離で、じっと目を見て話される彼女の存在を感じ、この人が、世界中に勇気とインスピレーションを与えている人だ!と思うと、滅多に緊張することのない私も、身震いするような感激と興奮で、十分に頭脳が働いていなかったように思います。また、今回のアウトプットが特別なものだったのかどうかはわかりません。しかし、「まずは信頼関係の構築」という視点で捉えると、本当に意義のある時間だったと思います。
終わった後は、玄関まで笑顔で見送ってくださり、もう一度握手をして別れました。客人として、また、友人としての温かい対応に感動が止みません。
追記:私がアウンサンスーチーさんに会った日、NLDの会議があり、中央執行委員会のメンバーが刷新されたことがわかりました。何と、その日、スーチーさんは党首に選ばれていました。(正確には中央執行委員会議長という肩書です)そんな特別な日に時間を空けてくださったことに改めて感謝です。
写真上:アウンサン将軍の肖像画を前に
写真上:今回の会談には高橋昭一衆議院議員にも声をかけ、参加してもらいました。カンボジアもそうですが、彼の企画力と実行力と連携して、日本としての役割を切り拓いていきます。また、私たちの写真は高橋事務所の小市琢磨さん、映像は松本恵美さんが撮ってくださいました。
写真上:和歌山のあんぽ柿や、海南市の漆器(オルゴール付きの小物入れ)をプレゼントしました。あんぽ柿には「梅干しですか?柿?美味しそうですね!」と日本語で反応してくださいました!
専門学校の教員時代も、サビエンチェットというNGOを立ち上げて、ミャンマーにおいてハンデキャップを背負った人たちを支援されていましたね。
また、阪口さんの教え子たちもその後ミャンマーとは深く関わりを持ち、「ミャンマーじゃぐち」あるいは「天秤棒の道」というタイトルを掲げてチャリティーコンサートを開き、そしてその収益金を元にミャンマー国内の水不足の地域(確か、バガン地域だったと記憶しています)に井戸を掘るという活動も行ってきました。
ミャンマーだけではなく、カンボジア、イスラエルなど当時‘阪口先生’が残されたDNAは、今も確実に教え子たちに伝わり世界の各地で活躍をされています。
以前のバングラデシュでの協働なども、その成果のひとつでしたね。
これからも大いに期待しています。
nice to meet you
国会議員になる前の活動とあわせて評価されたのですね。すばらしいです。