小岸昭『中国・開封のユダヤ人』(人文書院、2007年4月)
北宋の時代に開封へと移住し、以来異郷でユダヤ教の信仰と風習を守り続けたものの、次第に自分達の信仰と風習を忘れ去り、現在では民族としての記憶も忘れつつある開封のユダヤ人の一千年に渡る軌跡を描いています。
しかし現在の中国ではユダヤ人は55の少数民族の中には数えられていないんですね。まあ、そもそも人口が少なすぎる、顔立ちが漢民族にしか見えないほど漢民族との同化が進んでいる、うっかり少数民族として認めてしまうと国内のムスリムの反発やイスラエルの干渉がウザそう、等々、色々理由があるんでしょうが…… イスラエルの方も色々と面倒が起こるのを嫌がってか、開封のユダヤ人の存在を少なくとも公式には認めていないとのことです。
民国期には、自らのアイデンティティを失い、シナゴーグも荒れ果てるままになっていた開封のユダヤ人の惨状に心を痛め、上海に駐在していたヨーロッパのユダヤ人共同体が復興を支援するという申し出もあったのですが、結局金銭的な折り合いがつかずに支援計画が頓挫してしまったとのこと。この辺りの描写は非常に痛ましいものがありますね。
北宋の時代に開封へと移住し、以来異郷でユダヤ教の信仰と風習を守り続けたものの、次第に自分達の信仰と風習を忘れ去り、現在では民族としての記憶も忘れつつある開封のユダヤ人の一千年に渡る軌跡を描いています。
しかし現在の中国ではユダヤ人は55の少数民族の中には数えられていないんですね。まあ、そもそも人口が少なすぎる、顔立ちが漢民族にしか見えないほど漢民族との同化が進んでいる、うっかり少数民族として認めてしまうと国内のムスリムの反発やイスラエルの干渉がウザそう、等々、色々理由があるんでしょうが…… イスラエルの方も色々と面倒が起こるのを嫌がってか、開封のユダヤ人の存在を少なくとも公式には認めていないとのことです。
民国期には、自らのアイデンティティを失い、シナゴーグも荒れ果てるままになっていた開封のユダヤ人の惨状に心を痛め、上海に駐在していたヨーロッパのユダヤ人共同体が復興を支援するという申し出もあったのですが、結局金銭的な折り合いがつかずに支援計画が頓挫してしまったとのこと。この辺りの描写は非常に痛ましいものがありますね。