博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『漢字が日本語をほろぼす』/『古代ポンペイの日常生活』

2011年06月17日 | 世界史書籍
田中克彦『漢字が日本語をほろぼす』(角川SSC新書、2011年5月)

漢字と日本語との組み合わせは必然のものではなく、それどころかやっかいな重荷ですらあるという本書の主張には同意します。また、漢字が読み書きできないからといって充分な能力のある東南アジアの看護師・介護士が排除されているという状況は私も不毛だと思います。しかしだからと言って日本語の表記から漢字を取っ払ったところで、それまで漢語で表記されていた言葉がカタカナ語に置き換わるだけではないかと思うのですが……

ふと思いついて高島俊男『漢字と日本人』(文春新書)をパラパラ見返してみたら、やはり本書と同様に漢字と日本語の関係はいびつなものであるというようなことが書いてありました。ただ結論としては、かと言って今更漢字を使わずに日本語を表記するというのも色々ムリがあるし、それを承知で漢字と付き合っていかなきゃしょうがないよね(´・ω・`) という感じでしたが……

本村俊二『古代ポンペイの日常生活』(講談社学術文庫、2010年3月)

ほぼポンペイの遺跡の壁や柱に残された落書き類だけをネタにして書かれた本ですが、なかなか面白いです。特にローマ人の識字率や識字の質について論じた部分はこれからの研究の可能性さえ感じさせます。

ただ、ネタとして面白いのは第6章の「愛欲の街角」。「愛する者は誰でも死んでしまえ」という落書きは、超訳すると「リア充爆発しろ!」になるわけですね。わかりますw また、カエサルの「来た、見た、勝った」のパロディで、「来た、やった、帰った」という落書きがあるということですが、ローマ人、自重しろ!とツッコミたくなります。ついでにこれを「教養すら感じる」と評した著者にも自重していただきたい(^^;)
コメント (3)
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