第4章 太宗征遼
宋の太宗は太原を攻め落とし、北漢を滅ぼした後、また自ら宋軍を率いて幽州に出兵し、大遼を討伐することにしました。太宗は大軍を率いて長駆して突き進み、無人の野を進むように、一気に遼国の都の幽州に攻め込みます。
蕭太后は宋の軍兵が城下に迫っていると聞くと、たちまち驚いて顔色が真っ青となり、ただちに将官を招集して対策を協議しました。彼女は最後に丞相の蕭天佑の意見を受け入れ、耶律奚底と耶律沙をそれぞれ正・副の先鋒に任じ、五万の精兵を率いさせ、城を出て応戦させることにします。宋軍の大本営では、呼延賛が奮い立って自ら先陣をつとめることを志願し、高懐徳が後援となりました。潘仁美は彼らに八千の軍馬を与え、二人は命令を受けると、兵を率いて出陣します。
朝から昼頃までずっと混戦が続き、勝負が着かないというのに、双方の軍馬が持ちこたえられなくなり、それぞれ兵を引き上げ、二日目の再戦を待つほかありませんでした。呼延賛と高懐徳は大本営に戻り、太宗に「遼の耶律沙と耶律奚底は誠に猛将でございますぞ!」と報告しました。太宗は勝利を焦り、二日目は自ら出征することに決めました。
二日目、夜が明けたかと思うと、遼兵は宋軍が大挙して突撃してくるのを目にすることになったのでした。呼延賛は最前線で進撃し、大声で「遼軍の将兵よ、早く掛かって来い!」と叫びました。遼将の耶律沙が出撃し、呼延賛と一騎打ちとなりました。この時、突然宋軍の後方で砲声が響きました。実は、遼軍の将帥耶律学古が精兵を率いて宋軍の後方を攻めて来ており、宋軍はにわかに浮き足だってしまいます。
太宗は情勢が思わしくないのを見て逃走するものの、耶律休哥の部将兀環奴が後方から猛追していきます。宋の軍営の中で楊継業は太宗が危ういのを目にすると、楊延昭に急いで太宗を救援に行かせました。楊延昭は馬を疾走させて兀環奴に追いつき、交戦して二合にもならないうちに槍を胸に命中させ、彼を突き刺して落馬させました。
この時七郎楊延嗣も駆けつけ、急いで太宗を馬に乗せます。六郎は前方で命がけで突撃し、太宗はその後を追い、まさに危機一髪という時に、楊継業・高懐徳・呼延賛が相次いで駆けつけて合流し、ついに包囲網を打ち破り、太宗を護送して無事に定州まで逃れさせたのでした。
太宗が定州に戻って営舎を設けると、諸将がやって来て太宗に拝謁しました。太宗は言いました。「この度はもし楊家の父子がおらねば、朕は危うく命を失うところであった。」そこで彼は命令を下して楊継業を代州兵馬元帥に封じ、また御妹の柴郡主を六郎の妻として婚約させることにしました。そして全軍の将士には鋭気を養い、雪辱を晴らす機会を待つように命令したのでした。
宋の太宗は太原を攻め落とし、北漢を滅ぼした後、また自ら宋軍を率いて幽州に出兵し、大遼を討伐することにしました。太宗は大軍を率いて長駆して突き進み、無人の野を進むように、一気に遼国の都の幽州に攻め込みます。
蕭太后は宋の軍兵が城下に迫っていると聞くと、たちまち驚いて顔色が真っ青となり、ただちに将官を招集して対策を協議しました。彼女は最後に丞相の蕭天佑の意見を受け入れ、耶律奚底と耶律沙をそれぞれ正・副の先鋒に任じ、五万の精兵を率いさせ、城を出て応戦させることにします。宋軍の大本営では、呼延賛が奮い立って自ら先陣をつとめることを志願し、高懐徳が後援となりました。潘仁美は彼らに八千の軍馬を与え、二人は命令を受けると、兵を率いて出陣します。
朝から昼頃までずっと混戦が続き、勝負が着かないというのに、双方の軍馬が持ちこたえられなくなり、それぞれ兵を引き上げ、二日目の再戦を待つほかありませんでした。呼延賛と高懐徳は大本営に戻り、太宗に「遼の耶律沙と耶律奚底は誠に猛将でございますぞ!」と報告しました。太宗は勝利を焦り、二日目は自ら出征することに決めました。
二日目、夜が明けたかと思うと、遼兵は宋軍が大挙して突撃してくるのを目にすることになったのでした。呼延賛は最前線で進撃し、大声で「遼軍の将兵よ、早く掛かって来い!」と叫びました。遼将の耶律沙が出撃し、呼延賛と一騎打ちとなりました。この時、突然宋軍の後方で砲声が響きました。実は、遼軍の将帥耶律学古が精兵を率いて宋軍の後方を攻めて来ており、宋軍はにわかに浮き足だってしまいます。
太宗は情勢が思わしくないのを見て逃走するものの、耶律休哥の部将兀環奴が後方から猛追していきます。宋の軍営の中で楊継業は太宗が危ういのを目にすると、楊延昭に急いで太宗を救援に行かせました。楊延昭は馬を疾走させて兀環奴に追いつき、交戦して二合にもならないうちに槍を胸に命中させ、彼を突き刺して落馬させました。
この時七郎楊延嗣も駆けつけ、急いで太宗を馬に乗せます。六郎は前方で命がけで突撃し、太宗はその後を追い、まさに危機一髪という時に、楊継業・高懐徳・呼延賛が相次いで駆けつけて合流し、ついに包囲網を打ち破り、太宗を護送して無事に定州まで逃れさせたのでした。
太宗が定州に戻って営舎を設けると、諸将がやって来て太宗に拝謁しました。太宗は言いました。「この度はもし楊家の父子がおらねば、朕は危うく命を失うところであった。」そこで彼は命令を下して楊継業を代州兵馬元帥に封じ、また御妹の柴郡主を六郎の妻として婚約させることにしました。そして全軍の将士には鋭気を養い、雪辱を晴らす機会を待つように命令したのでした。
