第5章 浴血邠陽(後編)
潘仁美が言うには、「陛下、ご心配には及びません。楊継業がここからほど近い代州におりますので、救援に駆けつけさせればよろしいかと。」太宗はこれを聞くと、慌てて楊延平に包囲網を突破させ、代州に援軍を求めに行かせました。楊令公は消息を聞くと、息子たちとともに援軍を率い、すみやかに邠陽まで駆けつけます。
遼兵は楊家の父子の凄さを熟知しているので、まず援軍を入城させ、彼らを無惨にも城内に閉じ込めてしまおうとしました。楊継業は敵が戦わずに自ら退いたのを見て、策略が仕掛けられているのを察知しました。しかし皇帝をお救いせねばという気持ちが強いあまり、充分に考えが及ばないまま、兵を引き連れて城内に入ってしまいました。
太宗に謁見して言いますには、「陛下、ここに長く留まっているわけにはまいりませんが、城の外は敵兵に取り囲まれてしまっております。こうなってしまったからには、陛下をお救いするにはひとつしか手がありません。誰かを陛下の偽物に仕立て上げて前門より出て投降するふりをさせるのです。私は陛下をお守りして後門から脱出するようにいたします。」太宗はうなずきました。
この時、大郎楊延平が笑って言いました。「今陛下に危機が迫っておりますれば、私が命を捨ててお救いしたいと思います。」太宗は楊延平が引き受けると必ず命を落とすものとわかっていましたが、他にどうしようもなく、ただ承知するほかありませんでした。
二日目の朝、宋軍が白旗を掲げ、楊延平が太宗に扮し、衆人が取り囲む中で、ゆっくりと西門を出て投降するふりをします。遼国の軍隊は旗を倒して太鼓を鳴らすのをやめ、続々と宋朝皇帝の姿を見にやって来ました。
まさにこの時、楊延平が馬車から飛び出し、雷のように大声で叫び、鏢を飛ばして遼将耶律尚の喉に命中させました。遼兵はこれを見ると突撃してきて、混戦の中で楊延平は韓延寿に槍で突き殺されてしまいました。
楊継業は皇帝を護送して東門までやって来たところ、西の方で怒声が沸き起こるのを聞きました。大郎が生きているのか死んでいるのかわからず、心中忍びがたいものがありましたが、主君が側に控えていますので、ただ悲しみをこらえ、馬に鞭を加えて前進させるほかありません。
五十里ほど進むと、後方で砂ぼこりが飛び散り、遼兵が追いついて来ました。楊継業は即座に決断を下し、息子たちをその場に留めて遼兵を遮らせ、自分自身は太宗と八賢王を守りながら、逃走を続けます。楊家の息子は勇猛果敢に敵を殺し、二郎楊延定と三郎楊延輝は乱戦の中で死んでしまいました。四郎楊延朗は遼軍に生け捕りにされてしまいました。五郎楊延徳は失踪してしまいます。楊家の父子は大宋の君臣を救うため、重い代償を支払うことになったのでした。
潘仁美が言うには、「陛下、ご心配には及びません。楊継業がここからほど近い代州におりますので、救援に駆けつけさせればよろしいかと。」太宗はこれを聞くと、慌てて楊延平に包囲網を突破させ、代州に援軍を求めに行かせました。楊令公は消息を聞くと、息子たちとともに援軍を率い、すみやかに邠陽まで駆けつけます。
遼兵は楊家の父子の凄さを熟知しているので、まず援軍を入城させ、彼らを無惨にも城内に閉じ込めてしまおうとしました。楊継業は敵が戦わずに自ら退いたのを見て、策略が仕掛けられているのを察知しました。しかし皇帝をお救いせねばという気持ちが強いあまり、充分に考えが及ばないまま、兵を引き連れて城内に入ってしまいました。
太宗に謁見して言いますには、「陛下、ここに長く留まっているわけにはまいりませんが、城の外は敵兵に取り囲まれてしまっております。こうなってしまったからには、陛下をお救いするにはひとつしか手がありません。誰かを陛下の偽物に仕立て上げて前門より出て投降するふりをさせるのです。私は陛下をお守りして後門から脱出するようにいたします。」太宗はうなずきました。
この時、大郎楊延平が笑って言いました。「今陛下に危機が迫っておりますれば、私が命を捨ててお救いしたいと思います。」太宗は楊延平が引き受けると必ず命を落とすものとわかっていましたが、他にどうしようもなく、ただ承知するほかありませんでした。
二日目の朝、宋軍が白旗を掲げ、楊延平が太宗に扮し、衆人が取り囲む中で、ゆっくりと西門を出て投降するふりをします。遼国の軍隊は旗を倒して太鼓を鳴らすのをやめ、続々と宋朝皇帝の姿を見にやって来ました。
まさにこの時、楊延平が馬車から飛び出し、雷のように大声で叫び、鏢を飛ばして遼将耶律尚の喉に命中させました。遼兵はこれを見ると突撃してきて、混戦の中で楊延平は韓延寿に槍で突き殺されてしまいました。
楊継業は皇帝を護送して東門までやって来たところ、西の方で怒声が沸き起こるのを聞きました。大郎が生きているのか死んでいるのかわからず、心中忍びがたいものがありましたが、主君が側に控えていますので、ただ悲しみをこらえ、馬に鞭を加えて前進させるほかありません。
五十里ほど進むと、後方で砂ぼこりが飛び散り、遼兵が追いついて来ました。楊継業は即座に決断を下し、息子たちをその場に留めて遼兵を遮らせ、自分自身は太宗と八賢王を守りながら、逃走を続けます。楊家の息子は勇猛果敢に敵を殺し、二郎楊延定と三郎楊延輝は乱戦の中で死んでしまいました。四郎楊延朗は遼軍に生け捕りにされてしまいました。五郎楊延徳は失踪してしまいます。楊家の父子は大宋の君臣を救うため、重い代償を支払うことになったのでした。
