ル・グウィン著、清水真砂子訳『ゲド戦記2 こわれた腕輪』(岩波書店、2006年4月)
ゲドは前巻での冒険でエレス・アクベの腕輪の半分を手に入れたが、これがアースシーの世界に平和をもたらす宝物であることを知り、残る腕輪の半分が隠されているというアチュアンの墓所に潜入する。墓所には広大な地下迷宮が広がっていたが、彼はこの墓所を守る少女、大巫女のアルハと出会い……
前半はごく普通の女の子であったテナーがアチュアンの墓所を守る大巫女に選ばれ、大巫女を示すアルハという称号で呼ばれるようになる顛末や、墓所での彼女の暮らしぶりが話の中心となっています。このアルハという大巫女はチベットのダライ・ラマのように永遠に転生を繰り返すということになっており、先代のアルハが亡くなると墓所に仕える者が先代の亡くなった日に生まれた女児を捜し求め、その女児が5歳になると、先代の生まれ変わりとして大巫女の地位を継がせるために墓所に引き取られるという制度になっています。
テナーもそのようにして幼い頃に家族と引き離され、墓所の地下迷宮に巣くう「名なき者」に仕えることになりました。以後、外の世界には出られず、しかも古株の巫女や巫女たちの庇護者であるカルガドの大王によって権力が奪われてしまっているものの、身分だけは高いという環境の中でテナーはやや高慢でいびつな性格に育ちますが、ゲドとの出会いによってだんだん彼女自身が変わっていくことになります。
前巻での冒険を経て思慮深い青年に成長したゲドですが、今巻では脇役としてテナーを導く役回りになっています。テナーはゲドと行動をともにするうちに、このまま大巫女として一生を終えるか、外の世界に飛び出すか選択を迫られることになりますが……
この巻を読んで、映画版で突然ゲドの知人として登場するテナーの背景がようやくわかりましたが、このテナーが果たして映画版のように農牧業にいそしむ落ち着いた性格の女性に成長するんでしょうか。それとも映画版の性格設定が原作とは異なっているのか。先の巻を読む楽しみがひとつ増えました。
ゲドは前巻での冒険でエレス・アクベの腕輪の半分を手に入れたが、これがアースシーの世界に平和をもたらす宝物であることを知り、残る腕輪の半分が隠されているというアチュアンの墓所に潜入する。墓所には広大な地下迷宮が広がっていたが、彼はこの墓所を守る少女、大巫女のアルハと出会い……
前半はごく普通の女の子であったテナーがアチュアンの墓所を守る大巫女に選ばれ、大巫女を示すアルハという称号で呼ばれるようになる顛末や、墓所での彼女の暮らしぶりが話の中心となっています。このアルハという大巫女はチベットのダライ・ラマのように永遠に転生を繰り返すということになっており、先代のアルハが亡くなると墓所に仕える者が先代の亡くなった日に生まれた女児を捜し求め、その女児が5歳になると、先代の生まれ変わりとして大巫女の地位を継がせるために墓所に引き取られるという制度になっています。
テナーもそのようにして幼い頃に家族と引き離され、墓所の地下迷宮に巣くう「名なき者」に仕えることになりました。以後、外の世界には出られず、しかも古株の巫女や巫女たちの庇護者であるカルガドの大王によって権力が奪われてしまっているものの、身分だけは高いという環境の中でテナーはやや高慢でいびつな性格に育ちますが、ゲドとの出会いによってだんだん彼女自身が変わっていくことになります。
前巻での冒険を経て思慮深い青年に成長したゲドですが、今巻では脇役としてテナーを導く役回りになっています。テナーはゲドと行動をともにするうちに、このまま大巫女として一生を終えるか、外の世界に飛び出すか選択を迫られることになりますが……
この巻を読んで、映画版で突然ゲドの知人として登場するテナーの背景がようやくわかりましたが、このテナーが果たして映画版のように農牧業にいそしむ落ち着いた性格の女性に成長するんでしょうか。それとも映画版の性格設定が原作とは異なっているのか。先の巻を読む楽しみがひとつ増えました。
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