第3章 楊継業帰宋(前編)
潘虎が死んだ後、潘仁美は犯人が北漢の楊令公の子であることをつきとめて激怒し、必ずや楊家一門を皆殺しにして息子の仇を討ってやると誓いを立てました。
西暦976年3月、宋の太祖は自ら10万の大軍を率いて北漢を攻めることにし、潘仁美を監軍に任じました。しかし楊継業の率いる楊家軍が無類の勇猛さを誇っており、宋兵は大敗してしまいます。宋の太祖は軍を帰国させるほかありませんでした。
宋の太祖は戦いに敗れて戻った後に病に倒れ、ほどなく亡くなってしまいました。臨終の前に、宋の太祖は皇位を弟の趙光義に譲りました。これこそが歴史上有名な宋の太宗です。宋の太宗は即位した後も、兄の太祖皇帝の遺志を忘れず、この年の春に二十万の兵馬を動員し、兵を三路に分け、呼延賛を先鋒官とし、怒濤のごとく晋陽へと進撃させました。
宋軍の出兵は突然であったので、大軍が晋陽城下に押し寄せて来て、北漢の主劉鈞はようやく宋軍がやって来たことを知ったのでした。彼はたちまち驚きのあまり顔が土気色になり、慌てふためいて文武百官を招集して敵を退けさせる対策を討議させました。文武百官は周章狼狽し、ただ丁貴のみが落ち着きはらい、劉鈞をなだめて言いました。「こうなってしまったからには、命がけで戦うほかありません。陛下はすぐに楊令公を援軍に呼び寄せてください。私めは兵を率いて城を出、宋軍に命を賭して決戦を挑みたいと思います。」
二日目、両軍の前線で、宋軍からは呼延賛が出撃し、北漢の側からは丁貴が自ら出陣して迎え撃ちます。二人は三十合あまり打ち合いましたが、丁貴は次第に力が尽きてしまいました。呼延賛はなんとか丁貴を生け捕りにしようと思うものの、本領を発揮できないでいるうちに、丁貴が隙を突いて馬を走らせ逃げ出してしまいます。宋軍は勢いに乗じて襲撃をかけ、北漢の兵士の大半が死傷者となってしまいました。
まさにその時、楊令公が五郎楊延徳と六郎楊延昭を引き連れ、兵を率いて駆けつけました。五郎は手に大斧を持ち、大声で叫びました。「宋将よ早く退却するのだ、さもなくば自ら身を滅ぼすことになるぞ!」呼延賛は駆けつけたのが誰だかわからず、思わず激怒し、鞭を振るって馬を走らせ、楊延徳に勝負を挑みます。二人は四十合あまり打ち合いましたが、それでも勝負が着きません。呼延賛は心の中で密かに舌を巻き、もう一度戦おうとしましたが、二人の馬はどちらも持ちこたえられなくなってきていたので、両人とも兵を収めて軍営に戻るほかありませんでした。
三日目の朝、両軍の陣に戦鼓が鳴り響きました。楊令公は刀を横たえて馬を止め、五郎と六郎が左右に控えます。宋の太宗は陣前で観戦し、楊家の父子が威風堂々としているのを見て、にわかに惚れ惚れとして才能を惜しむ気持ちとなり、誤って彼らを傷つけるのを恐れて軍を引き上げるよう命令を下しました。
潘虎が死んだ後、潘仁美は犯人が北漢の楊令公の子であることをつきとめて激怒し、必ずや楊家一門を皆殺しにして息子の仇を討ってやると誓いを立てました。
西暦976年3月、宋の太祖は自ら10万の大軍を率いて北漢を攻めることにし、潘仁美を監軍に任じました。しかし楊継業の率いる楊家軍が無類の勇猛さを誇っており、宋兵は大敗してしまいます。宋の太祖は軍を帰国させるほかありませんでした。
宋の太祖は戦いに敗れて戻った後に病に倒れ、ほどなく亡くなってしまいました。臨終の前に、宋の太祖は皇位を弟の趙光義に譲りました。これこそが歴史上有名な宋の太宗です。宋の太宗は即位した後も、兄の太祖皇帝の遺志を忘れず、この年の春に二十万の兵馬を動員し、兵を三路に分け、呼延賛を先鋒官とし、怒濤のごとく晋陽へと進撃させました。
宋軍の出兵は突然であったので、大軍が晋陽城下に押し寄せて来て、北漢の主劉鈞はようやく宋軍がやって来たことを知ったのでした。彼はたちまち驚きのあまり顔が土気色になり、慌てふためいて文武百官を招集して敵を退けさせる対策を討議させました。文武百官は周章狼狽し、ただ丁貴のみが落ち着きはらい、劉鈞をなだめて言いました。「こうなってしまったからには、命がけで戦うほかありません。陛下はすぐに楊令公を援軍に呼び寄せてください。私めは兵を率いて城を出、宋軍に命を賭して決戦を挑みたいと思います。」
二日目、両軍の前線で、宋軍からは呼延賛が出撃し、北漢の側からは丁貴が自ら出陣して迎え撃ちます。二人は三十合あまり打ち合いましたが、丁貴は次第に力が尽きてしまいました。呼延賛はなんとか丁貴を生け捕りにしようと思うものの、本領を発揮できないでいるうちに、丁貴が隙を突いて馬を走らせ逃げ出してしまいます。宋軍は勢いに乗じて襲撃をかけ、北漢の兵士の大半が死傷者となってしまいました。
まさにその時、楊令公が五郎楊延徳と六郎楊延昭を引き連れ、兵を率いて駆けつけました。五郎は手に大斧を持ち、大声で叫びました。「宋将よ早く退却するのだ、さもなくば自ら身を滅ぼすことになるぞ!」呼延賛は駆けつけたのが誰だかわからず、思わず激怒し、鞭を振るって馬を走らせ、楊延徳に勝負を挑みます。二人は四十合あまり打ち合いましたが、それでも勝負が着きません。呼延賛は心の中で密かに舌を巻き、もう一度戦おうとしましたが、二人の馬はどちらも持ちこたえられなくなってきていたので、両人とも兵を収めて軍営に戻るほかありませんでした。
三日目の朝、両軍の陣に戦鼓が鳴り響きました。楊令公は刀を横たえて馬を止め、五郎と六郎が左右に控えます。宋の太宗は陣前で観戦し、楊家の父子が威風堂々としているのを見て、にわかに惚れ惚れとして才能を惜しむ気持ちとなり、誤って彼らを傷つけるのを恐れて軍を引き上げるよう命令を下しました。
