ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき

ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も)

80年代ゲームの変遷

2007-07-21 21:24:24 | Weblog

で、さっき引用した
「アソコン すうぱあスペシャル 8 パソコンゲーム80年代記」

の目次に、「メモリアルコレクション80~89」ということで、その年にはやった、パソコンゲームがのっているので、以下引用してみます
(以下の斜体は、上記本より引用、ただし、目次なので、その記事が書いてあるページ数が入っているのだけど、それは省略、多少見やすいレイアウトにしてあります。「その他」は省略)



<<~82年>>
・スタートレック
・スター・ブレイザー
・オリオン
・ミステリーハウス

<<83年>>
・信長の野望
・ザ・ブラックオニキス
・ロードランナー

<<84年>>
・ハイドライド
・ドラゴンスレイヤー
・デゼニランド
・サラダの国のトマト姫
・オホーツクに消ゆ
・ウィングマン

<<85年>>
・大戦略
・三国志
・ザナドゥ
・テグザー
・ザ・キャッスル

<<86年>>
・殺人倶楽部
・マンハッタン・レクイエム
・イース
・ロマンシア
・A列車で行こう
・レリクス
・覇邪の封印

<<87年>>
・ソーサリアン
・ディーヴァ
・ぎゅわんぶらあ自己中心派
・F1スピリット
・抜忍伝説

<<88年>>
・シルバーゴースト
・ラスト・ハルマゲドン
・テトリス
・ディガンの魔石
・太平洋の嵐

<<89年>>
・遥かなるオーガスタ
・Misty
・DCコネクション
・水滸伝
・HARUKA
・提督の決断



ってなかんじでした。その本では・・・

うーん、ウィリアムのいたずらは、余りゲームには詳しくないので、
半分(以上)も、わからない(^^;)


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失われた20年-ソフト業界は変わったのか? その2:第三次オンが終わったころ(2)

2007-07-21 15:38:35 | 土日シリーズ

20年位前、1980年代終わりごろから、最近まで、ソフト業界とかその周辺の変遷について、特にソフト開発の立場を中心に見て行く、新しい土日シリーズ「失われた20年-ソフト業界は変わったのか?」その第二回目。
 前回は、第三次オンが終わったころ(1980年代後半)の概要を書きました。
 今回は、そのころのハード面について書きたいと思います。




■汎用機とオフコン・ワークステーションとパソコン

 80年代は、だいたい、

 ・汎用機
 ・オフコン・ワークステーション
 ・パソコン

 の3つに分かれていたと思います。

 汎用機は、大きな事務処理、科学計算の中心であり、COBOL,FORTRAN,PL/Iでかいて、それを、フロッピーにかいて、汎用機に読み込ませて、JCLを実行し、プログラムを処理するという形。

 オンライン処理の場合は、ダム端(表示、入力だけする。X端末みたいなもん)っていうのがあって、そいつから入出力を行うという形でした。

 通信体系として、SNA(IBM)や、AIM(富士通)などがあり、HDLC伝送制御手順などを使って通信していたと思います。
 HDLCは、TCP/IPが入る前は、結構使われていて、印刷関係などだと、新聞社とかでつかわれてました(いまは、さすがにTCP/IPかな。昔のTCP/IPは優先制御とかができないので、記事送信の優先順位を求められる新聞社に向いているとはいえなかった)。




■オフコン

 そして、ちょっとした会社に入っていたのが、オフコン。
 オフィスコンピューターというもので、中堅企業(中小の一部も)なんかに導入された。
 ちょっとした受発注業務には十分な性能なのですが、お金のかけ方によって、OSの使いやすさとかが、ぜんぜん違ってしまう。
 富士通のKシリーズ(OSはCSPという独自OS)は、まあ、その中でも、使いやすかったんじゃないかな?

 オフコンは、事務用では良く使われたけど、科学計算用には、ワークステーション。
 とくに、PDP-11(Wikipediaでは、ミニコンになってるけど)が有名。
 たしか、歌手の杉真理(すぎまさみち:男)が、大学の試験で、「PDP-11の割り込みについて答えよ」という問題で、「割り込みは良くない!」と答えをかいたんじゃなかったっけ??(記憶違いだったらごめんなさい ^^;)

 でも、ワークステーションで有名なのは、やっぱ、SONYのNEWSなわけで、印刷業関係の人だと、EDIANやニューズキャスター(つづりをわすれた ^^;)が載っていたワークステーションとして有名ですよね。
 EDIANから、写研文化とは、別ルートの編集文化がおき、それにはじめ、Too(いづみや)は、載ってきたが、その後、Quark、AdobePhotoShopに乗り代わり(この背景として、スピードライマーカーを納入して、広告代理店と関係の深かったTooが、(当時はいづみやか?)国際的な同時広告の入稿データとして、PhotoShopデータを扱う広告代理店が増えだし、そのニーズに対応するためPhotoShopを扱うようになり。。。というのを、なにかで読んだ気がしたが、気のせいかもしれん。勘違いだったらごめん ^^;)。。。

 ってなわけで、今後のMac文化につながっていくのだが、その前の話として、NEWS文化があった。

 なお、Sunであるが、当時はSunは、富士通、東芝が、売っていた。
 (Sun自体の直売より、富士通Sシリーズのほうが売れていた記憶がある。。これも、記憶違いだったらごめん。また、時代によって違う。あくまでも、80年代ころの話)




■PC-9801とFM-TOWNS

 パソコンに関して言うと、

「アソコンすうぱあスペシャル 8
パソコンゲーム80年代記」
という本をみると(10~13ページ)、

1982年 PC-9801発売
1983年 ファミコン発売
1985年 PC9801 VF,VM発売
      PC-98LT(ラップトップ)発売 
1986年 一太郎発売
1987年 PC9801XL発売=>対抗機富士通FM-R発売
      エプソン9801互換機PC-286発売
      東芝ラップトップJ-3100発売
1989年 富士通FM-TOWNSを発売

とこんなかんじ。。。

 80年代、90年代初めはNECのPC9801シリーズの時代といえます。
 98には、N88Basicが載ってますけど、それをそのまま使ってBASICをやるというよりかは、MS-DOS,DR-DOSを使って、その上でコンパイラ(F77FortranやCOBOLコンパイラがあった)を動かしていた。
 当時は、5インチCDの時代。
(1Sとかあったし。=>1S,2D,2DD,2HDと容量が大きくなる)

 80年代後半より、マルチメディアという言葉が流行り、それとともに、FM-TOWNSが出てきたわけだが(すごい宣伝したのだが)結果は・・・(^^;)

 ちなみに、上記には、一太郎しかないが、このころのワープロというと、管理工学の松も有名(というか、新松が有名)で、その管理工学がだした、パーソナルデータベースソフト?桐が、1988年ごろだと思う。有名になった。表計算ソフトとしては、Lotus123ですね。




 ということで、次回は、ソフトや言語のほうの話です。

 

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