自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

銀の道

2009-02-01 20:24:20 | Weblog
 景気はどんどん悪くなる。
「どぎゃーにかせんとおえん」この言葉の地方で
軽四輪車を買ったら10万円バックする自治体が出てきた。
そうじゃ総社と実施する。
 我が郷では「かおう、かおう」と鳴くカラスのそばを別のカラスが飛んでいく。
もう何か買った見たい。そのお金はどこから出たのか!



少し調べてみた。



我が地は昔石州街道が通っていた。
山陰の太田市大森から岡山県の笠岡市まで
その途中に神辺はある。







昭和の時代まではこの国分寺交差点の中央みぎあたりに道しるべはあったが
今は八幡神社の西南に鎮座している。
ここから西約17km、神辺平野の最西端に府中と言う町がある。
そこにも道しるべがあった。


北 上下、小畑石州道

この場所は府中市出口という町である。
山から出てここから平地になるから出口!


西に向かった街道がここから北に方向を変えて
上下、吉舎、三次(じょうげ、きさ、みよし)を経由して
石見銀山の世界遺産へ続くのである。






カラスはこの街道で旅人の銀をくすねて買い物をしたようだ。
海賊の話はソマリアあたりで聞くがここにはまだ山賊がいたのだ!
 
 冗談はさておき、何で味噌が出るのだ!
この出口に友人が経営している金光味噌がある。
江戸時代に塩や銀の運搬路の石州街道出口で味噌や醤油を作っていた。
この地は江戸の中期大戸久三郎が白味噌を作り全国の品評会で
優秀賞を獲得して以来高級味噌として名前が全国に広がった。
少しくどくなるが
府中は米味噌文化圏の南端、麦味噌文化圏では最北端
又味噌は日本列島の中北に行くほど辛口で、南に行くほど甘くなる。
日本の狭い地域名をつけた産地は八丁味噌と府中味噌だけで特異な存在だ。

 こらこら、一企業の味噌のを宣伝するのはほどほどにしたら!
 3日から、備後の物産を東京有明のギフトショウに出店して我が郷を何とかしたいと思う気持ち鈍らせないで!
手前味噌(てまえみそ)故(ゆえ)お許しを!

本来はここで御終いなのだが
ブログが少し長い休みなのでおまけ記事を載せる。


ヘリこブターが空から写真を撮影している

それ以後発掘工事はされていない


多分この遺跡は道路の下埋められる。
保存されないまま道路の基礎工事で壊されてしまうだろう。
現状では広島県NO.1だけれども!
これが見納めになるだろう。