自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

堂々川研究

2014-05-07 21:00:25 | Weblog
5月4日吉備国際大学の准教授から「堂々川今昔」を図書館で見た。
江戸時代築造の砂留の素晴らしさを改めて知った。
出来たら案内して欲しいと。名誉ある依頼に2つ返事。
その翌日雨の中、井原線が御領駅に着く。
喫茶店(こんな田舎でも喫茶店はあるのです)で計画を打合せて出発。


雨の中、備陽史探訪の会の方の砂留見学に遭遇


1番砂留から詳しく探索開始。
1番砂留と下方の迫山砂留の関係がわからなかったと。[一体と思っていた」
ほぼ雨は止んだ。
砂留を作った石はどこから持ってきたのだろうか。
少し上流の昨年1月放火された禿山を指さし、「あの山を見てください」
いし、イシ、石あれだけあるのだから、当時は禿山だから山から落とせばいくらでも集まる。



ここで脱線、遠くをミサゴらしき鳥が飛ぶ。
先日の池の餌取りの続き


狙いをつけて急降下

水面下の魚 獲れたか?


そのあとミサゴは堂々川方面に飛び去った。
本日、ミサゴが下流域から巣に帰ってくる。





巣に近づき






巣におさまる


「ぴよぴよ」と鳴くから雛の声かと思った。後で調べるとミサゴの鳴き声であった。
寄り道はここまで
2番、3番砂留を確認して
4番砂留脇を通る。
ここの川原は良く乾燥するからジャマンアイリスを植えた。
それが成功し、どんどん増えて行く。


今回の研究には関係ないが
綺麗でしょうと自慢話が弾む


ところで堂々川にはなぜ砂留がこんなに沢山あるの?
この山は花崗岩でできている。


花崗岩が崩落している所を
確認してもらう


又、江戸時代下流の神辺は宿場町で人口が増えた。
当然家造りや生活の為の薪等が多く必要になる。
それと福山藩は当時藩の財政を塩田に求めていた。
塩田は海水を干して塩をとるから莫大な炭や薪が必要になる。
だから山は木が無くなり、雨が降れば水が一直線に川へ流れる。
当時の幕府、藩はカクヒ堀を禁じた。つまり[諸国山川の掟」を発令して山を保護するように命令した。
いずれも「堂々川今昔」に記載した内容を説明した。
准教授曰く、もう本はないのかと聞かれた。数冊残っているだけであると説明すると
増版しないかと言われた。
ヨイショ、御世辞も休み休みにしてもらいたいと思って応対していたら
本気で欲しいといわれる。
それなら先生と共同で執筆しませんかと投げかけたら、
○×の団体で助成金を貰って等のつぶやきが漏れ聞こえる。
地元の人からはよくもこんな本を発行して自慢したものだと陰口をたたかれたが
見る人が見ればわかるのだと嬉しくなった。

嬉しくなって上流右岸鳶ケ迫砂留まで来たら
あまり出て欲しくないものが見える。


シマヘビの抜け殻


これから山へ入る方
毒虫、蛇、蜂等が出てくるから気をつけてもらいたい。
怪我しても自己責任でお願いしたい。

准教授が私をヨイショする旅はまだあと5時間続く。
当分この記事が多く登場すると思ってもらいたい。