自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

平家の里

2016-01-29 14:03:00 | Weblog
28年度福山市100周年記念イベントで「砂留サミットIN福山」を開催する採択を
受けているのでその準備にあたっている。
福山市立大学の教授を訪ね了承を戴いた。
少し時間が取れたので突如平家の里を訪ねて見ることにした。


福山市南部沼隈


平家の里と云われている場所へ行く道には沼隈ブドウ畑が広がっていた。


5年以上前にこの場のぶどうを
東京競馬場で販売したことがある


PR費は貰っていないが事実を述べておく。この場のブドウは美味しい。
このブドウ畑を通り過ぎると平家の谷へ行ける。


赤幡神社


源平合戦、屋島で敗れた平家が源氏の追手を逃れこの地へ逃れたが
狭くて険しい道が続き馬の鞍が横に傾いた逸話が残る横倉地区に建っている。






平家谷を奥へ進むと赤い看板がいたるところに建ち、平家の里に来た感じがする。
まだ奥があるので前に進むと


菖蒲園や椿園がある

福山市応援のものか?ボランティアが頑張ったからかわからないが
有名なところらしい

椿園の現状
手入れは行きとどいている



通盛神社



通盛と妻小宰相局のお墓らしい


能登原の海岸から平家蟹が参拝に来たと伝説のある神社。
通称平家さんと呼ばれ夫婦円満のの神社としても親しまれているそうです。

ここから奥へ行くには通行料がいるらしい。

500円と書いてあったが菖蒲に肥料をやる人に聞いた。
お客さんが1人もいないし、切符売り場に人がいないからタダでよいでしょうか。
・・・・・返事がないから軽トラはそのまま進む。


下方を見る
迫力


椿園の上手に


敗れた平家の人たちが隠れ住む里へ
2方向から来た人達が出会った場所としるしてある


平清盛の甥にあたる通盛が福山市沼隈町横倉に隠れ住んだ伝説がある。
平家谷と呼ばれ沢山の言い伝えや風習が残っている。
特に赤幡、赤色が多く使われていたのは印象的であった。

歴史的には1185年2月讃岐屋島の戦い、
その後3月この地能登原でも平教経率いる平家が敗れ
平家滅亡が近付いたのである。