平成22年7月30日
大切な方が亡くなりました。
享年83歳
私との出会いは23年前に遡ります。
従って、大切な方が59歳だったと思います。
今の私より9歳年上です。
因みに私は27歳だったと記憶します。
当時すごく豪快で年上に感じていた方が
今の私にとっては凄く年齢の近い方となってしまいます。
家族ぐるみでお世話になりました。
お中元お歳暮の時期には信じられないような贈答品をお送り頂き
金沢にいらっしゃる度(仕事の本拠地は横浜でした。)に
あちこちに連れて行って頂き(しかも家族ぐるみで)
当時の私としては身分不相応な所にもたくさん連れて行って頂きました。
そんな豪快な社長様が
数年前には廃業され(もっとも当初は満65歳で事業を止めると言っておられましたが…。)
昨年11月にはこの金沢に生活の本拠地を移されていました。
「あんたに会いたかったよ~」
そんな事をいいながらお嫁さんと一緒に
弊社に訪ねて来ていただいたのは何月だったでしょうか…。
それが直接お話をした最後となってしまいました。
つい数週間前に気弱な電話を頂きました。
「もう死んだも同然だよ!何も食べられないし何も見えない!もう死にたいよ~」
十数年前には絶対に聞く事の無い一言でした。
「ああ、弱られたなぁ~」
電話口で話しながらそんな事を思っていました。
「もう一度お会いしたいなぁ~」
そんな事を思いながらも月日だけが過ぎて行きました。
そして昨夜のお通夜です。
本当に良くして頂いたご遺族方にご挨拶をし
明日の告別式に参列できない旨を伝え
お通夜の後にお顔を拝見させていただきました。
関与から数年間はあんなに大きかった社長さんが
ちいちゃくちいちゃくなっておられました。
それでも不思議と血色が良く見えました。
ご遺族から
「おじいちゃんは最後の良最後まで本当にお二人の人に世話になった。
一人は横浜の取引先の社長、そしてもう一人は山根さんだと言っていました。」
この言葉を聞いた瞬間
横浜から金沢に移って来られてからの数カ月
たった一度しかお会いもせずに
この日を迎えた事を本当に切なく思いました。
そこまで思って頂いていたのに…。
土曜も日曜も
朝も昼も夜も夜中も
動き回っている私に相当遠慮をされていたようです。
「最後にもう一度だけ一緒に食事をしたいと言っていました。」
その言葉をご遺族から聞いた時には
ただただ下を俯くしかありませんでした。
社長様ありがとうございました。
安らかにお眠りください。
そして、最後に一緒に食事ができなかった事をお許しください。
大切な方が亡くなりました。
享年83歳
私との出会いは23年前に遡ります。
従って、大切な方が59歳だったと思います。
今の私より9歳年上です。
因みに私は27歳だったと記憶します。
当時すごく豪快で年上に感じていた方が
今の私にとっては凄く年齢の近い方となってしまいます。
家族ぐるみでお世話になりました。
お中元お歳暮の時期には信じられないような贈答品をお送り頂き
金沢にいらっしゃる度(仕事の本拠地は横浜でした。)に
あちこちに連れて行って頂き(しかも家族ぐるみで)
当時の私としては身分不相応な所にもたくさん連れて行って頂きました。
そんな豪快な社長様が
数年前には廃業され(もっとも当初は満65歳で事業を止めると言っておられましたが…。)
昨年11月にはこの金沢に生活の本拠地を移されていました。
「あんたに会いたかったよ~」
そんな事をいいながらお嫁さんと一緒に
弊社に訪ねて来ていただいたのは何月だったでしょうか…。
それが直接お話をした最後となってしまいました。
つい数週間前に気弱な電話を頂きました。
「もう死んだも同然だよ!何も食べられないし何も見えない!もう死にたいよ~」
十数年前には絶対に聞く事の無い一言でした。
「ああ、弱られたなぁ~」
電話口で話しながらそんな事を思っていました。
「もう一度お会いしたいなぁ~」
そんな事を思いながらも月日だけが過ぎて行きました。
そして昨夜のお通夜です。
本当に良くして頂いたご遺族方にご挨拶をし
明日の告別式に参列できない旨を伝え
お通夜の後にお顔を拝見させていただきました。
関与から数年間はあんなに大きかった社長さんが
ちいちゃくちいちゃくなっておられました。
それでも不思議と血色が良く見えました。
ご遺族から
「おじいちゃんは最後の良最後まで本当にお二人の人に世話になった。
一人は横浜の取引先の社長、そしてもう一人は山根さんだと言っていました。」
この言葉を聞いた瞬間
横浜から金沢に移って来られてからの数カ月
たった一度しかお会いもせずに
この日を迎えた事を本当に切なく思いました。
そこまで思って頂いていたのに…。
土曜も日曜も
朝も昼も夜も夜中も
動き回っている私に相当遠慮をされていたようです。
「最後にもう一度だけ一緒に食事をしたいと言っていました。」
その言葉をご遺族から聞いた時には
ただただ下を俯くしかありませんでした。
社長様ありがとうございました。
安らかにお眠りください。
そして、最後に一緒に食事ができなかった事をお許しください。