信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

信濃十名勝「山清路」の風景と山清路伝説

2023年10月09日 | 生坂村の風景

 10月9日(月)のスポーツの日は、午前中は本降りの雨が降り、午後になると雨の止む時間が長くなり昼間は肌寒い体感でした。

▽ 毎朝恒例の撮影は、雨が強く降る中、大きな奇岩や清き流れの犀川などの風景を歩きながら撮影しました。

 旧山清路橋は、昭和9年に架けられたもので、1960年代後半には新山清路橋が開通し、県道大町麻績インター千曲線の旧道部分には、生坂橋、公園橋もあり、それらの橋を巡りながら撮影しました。

 北アルプスの名峰「槍ヶ岳」を源とする犀川は、松本盆地を北流し長野盆地の川中島で千曲川と合流する河川でして、その流れはところどころで蛇行しながら、美しい峡谷である「犀峡」を造り出しています。

山清路の風景

 犀川は生坂村で、支流の金熊川、麻績川と合流するところが「山清路」と呼ばれる景勝地になっていて、この地は、民話『犀龍と泉小太郎』の山清路伝説の場所なのです。

「山清路伝説」

 松本平は太古、一面に湖であった。ここに犀竜が住んでいて、白竜王(日輪、大日如来の化身)との間に泉小太郎が生まれ、泉小太郎に自分の姿を見られることを恥じて、湖水に隠れてしまった。

 泉小太郎は母の行方をたずね歩き、やっと熊倉の下田奥の尾入沢(松本市島内と安曇野市豊科田沢の境)でめぐり会うことができた。
 犀竜は「我は諏訪大明神の化身である。氏子を繁栄させたいと思う。背中に乗りなさい。この湖水を突き破り平地とし人里にしたい」といった。

  泉小太郎はいわれるままに尾入沢から犀竜に乗り、山清路の大岩を突破し、水を越後の海に流し落として、松本平を肥沃な人里とした。
 この後、犀に乗った所を犀乗沢、そこから千曲川までの川筋を犀川というようになったと伝えられている。

 山清路は泉小太郎が一番苦労して突破した難所である。そのおかげで生坂の地も人里と なった。かつては、感謝とこの地の発展を祈って毎年5月に犀竜小太郎祭が盛大に行われていた。

 山清路という地名は、昔この付近に山(三)清寺という寺があったことからつけられたといい、今も寺跡がある。山清路の名勝は明治以降、犀川下りの人々により有名となり、昭和3年新愛知新聞社 主催により、信濃十名勝の第二番に選ばれた。

 昭和62年には朝日新聞社、長野県、テレビ信州、森林文化協会の公募により、長野の自然100選の一つに認定された。

 当村としても山清路のVR動画、パンフレットの製作、看板の修繕と更新、百体観音の遊歩道の整備、駐車場整備などを行い、山清路を当村北部の観光名所にするため取り組んでまいります。

 私は、毎朝恒例の撮影とSNSの発信を済ませ、母の葬儀関係の整理を妻と一緒にしながら、諸々の準備をしました。

 本日生坂村では、やまなみ荘で村内無料入浴デー、各神社で秋季祭典などが行われました。



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