以前も紹介しましたが再度。
津村喬さんの文章より。
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「この両篇は(内景経、外景経のこと)原理論、方法論ともに完備し、論理も首尾一貫しており、道教内丹派の古典となった」
「外景経では黄庭に意識を集中することの重要性が指摘される。黃庭というのは、臍の内側にある気のセンターで、関元(臍下三寸にある経穴で足三陰と任脈がつながっている)の上、幽闕(へそ)と命門の間に位置し、人間の元精・元気・元神を包含しており、体内でも最も根源的な部位なのである。だから内煉の修行の過程では、精が黄庭に到り、気が黄庭に帰し、神が黃庭に入ることの必要性が特に強調されている。部屋の中に主人がどっかりと静座するように、精気神の三大要素が黃庭にしっかりとどまっていると、病気は自然に退散してしまう。だから恬淡虚無で、自らの心を見つめるような生活態度でいれば、身体は安泰でバランスがとれ、五臓は生き生きとしてくる」
とてもわかりやすい。そして内景経28にはこういわれている。
「仙人や道士は神秘的な手段でなく、精・気を蓄積することで真人になったのだ」
「外景経では黄庭に意識を集中することの重要性が指摘される。黃庭というのは、臍の内側にある気のセンターで、関元(臍下三寸にある経穴で足三陰と任脈がつながっている)の上、幽闕(へそ)と命門の間に位置し、人間の元精・元気・元神を包含しており、体内でも最も根源的な部位なのである。だから内煉の修行の過程では、精が黄庭に到り、気が黄庭に帰し、神が黃庭に入ることの必要性が特に強調されている。部屋の中に主人がどっかりと静座するように、精気神の三大要素が黃庭にしっかりとどまっていると、病気は自然に退散してしまう。だから恬淡虚無で、自らの心を見つめるような生活態度でいれば、身体は安泰でバランスがとれ、五臓は生き生きとしてくる」
とてもわかりやすい。そして内景経28にはこういわれている。
「仙人や道士は神秘的な手段でなく、精・気を蓄積することで真人になったのだ」
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気功のレッスンでも
これに近いことを
言葉を変えてお伝えしています。
ここを少しでも理解できると
気功の理解が深まるのではないかと思うからです。
年内のレッスンは
あと1回しかありませんが・・
来年の日程も決まり次第
ご案内しますので、
良ければ
お気軽にいらしてください。
自分でできる元気習慣。
これからの自分へのギフトとして
少しずつ覚えてほしいと思います。