心と身体がよろこぶ“気功養生”

「養生気功塾」のお知らせ、気功の魅力、気功養生法、気功の生活術をメインに、日々のあれこれも書いています。

気功の話(導引)

2022-08-29 01:56:48 | 気功の話

たまには・・・

 

気功の話でも

と思っても

講座で話すことを

そのまま載せるわけにはいないので

 

今回も津村喬さんの文章をご紹介。

 

ここの「イメージ」は

普通のイメージではないので

そこは

機会があれば

お話できるかも・・です。

 

 

ーーー

 

Q,ほとんどの気功教師は導引をおしえているといっていいでしょうか。
 
A,そうですよね。乱暴な概括ですが、「95%は導引」というのが一般的にいえると思います。残りの5%のうち、2%が吐納、呼吸法、2%が瞑想、静功です。残りの1%を、存思法というイメージ気功と、内丹法とこれもイメージ気功といえますが、それが分け合っています。呼吸法や静功はやってはいけないことはもちろんありませんが、指導が難しいものです。相手のレベルをきちんととらえて、一歩一歩指導していきます。でも「95%の導引」でも指導していくことはそんなにやさしくありません。
 
Q,導引の特徴というのはなんですか。
 
A,導引とは簡単にいえば動作によって気を導くということです。動作を伴うのですが、動作が目的ではなく、その動作を通じて特定の気の流れを作り出すことです。動作だけしてそのイメージがなかったらそれは体操であって導引とは言えません。気の流れとは経絡の流れを主とするものですが、特定の経絡を流すことを目的としたものと、漠然といくつかの経絡に影響を及ぼしたいというものと、ほとんど経絡的には意味をなさないものとがあります。たとえば禅密功築基功の導引はほとんど経絡的には意味がありません。それは脊椎に直接働きかけているのです。経絡的な意味が比較的はっきりしているのは、六字訣や八段錦です。北戴河の気功でも導引行気功は呼吸法に大きな比重がありますが、一応導引といえます。しかし内養功はまったく導引と言えませんね。これははっきり区別する必要があります。内養功は呼吸法であって導引ではありません。天台小止観の体系も治療法の中には六字訣がとりいれられていますが、止観の方法そのものは導引を含んでいず、静功のさまざまなパターンが提案されています。こうして何が導引でないかがはっきりしてくると、少しずつ分かりやすくなります。
もうひとつ、導引にはストレッチの要素があります。どうやって経絡を刺激するかは大部分その経絡をストレッチすることで成り立っています。引くという文字にすでに表れていますね。引くことで導く、ストレッチによって気を通すということですね。ただこの時に、現実の筋肉を伸ばしてやると同時に、イメージのストレッチをしていきます。動作の名称にはこれを補ったものが多いのです。八段錦で言えば「天の門にふれる」「遠くの鷲を射る」「しっぽを落として首を挙げる」などです。易筋経で言えば「星をつかんで天に帰す」「九匹の牛の尻尾を引っ張る」などです。こうして初めて導引の要求は達せられます。
 
Q,導引以外の気功ではイメージを使わないのですか。
 
A,もちろんそんなことはありません。呼吸法でも腹式呼吸とか逆腹式というのも実際におなかにいれているわけではないのですから、イメージなわけですね。停頓呼吸というと事実を述べているにすぎませんが、胎息となるとまったくイメージの問題です。数息観というのもイメージ・コントロールの問題です。静功でも「山のように動かない」とか「鳥は水影を残して去っていくだけ」というと伝えやすいわけですね。存思、内丹になりますと100%イメージの世界です。ですから気功はなんであれイメージを使って右脳状態になるという点では共通しているのです。
 
Q,では導引のイメージの特徴というと、どういうことでしょう。
 
A,動作に密着して、ストレッチを強化するというイメージの使い方です。あくまで動作が主役です。だんだん高級な気功になるにつれて、イメージの使い方の比率が増してきます。
 
Q,導引を分類することはできますか。
 
A,相対的な分類ですが、繰り返し運動系とストレッチ運動系に分けることができます。スワイショウや背骨ゆらしは繰り返し運動系です。ストレッチも使っていますが、その刺激は穏やかでわりあい長時間やるのに適しています。私が入門功法として使っている大部分は繰り返し運動系の導引です。これに対して八段錦や易筋経はそれぞれ六回やることを繰り返しととらえてもいいですが、延々と続いていくのではなくてひとつひとつの動作をきっちりやっていくもので、心理的にも生理的にも効果は大きく違うと思います。
 
Q,導引の心理的効果とはどういうものですか。
 
A,天の門に手がとどくというのは、自分の身体がおおきくなっているというイメージです。古典の易筋経でも、雲の上に顔が出ている、あしもとにヒマラヤを踏んでいる、といいます。大きくなったというイメージだけである程度の効果はあり、おおらかに、細かいことには気をとられない状態になれます。小さくなる気功には行気で一寸法師のように小さくなって経絡をめぐったり、存思で心臓や肝臓を訪ねる旅をしたりということがありますが、それはもっと複雑です。導引にとっては「自己拡張」で十分ではないでしょうか。
 
 
 
 

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