先週の北九州無法松ウオークで痛めた足もだいぶん回復し、今日は回復状態を確認しようと
JRウオーキングに参加しました。
午前10時JR久留米駅をスタート。
すぐ梅林寺に入ります。
この梅林寺は梅の名所でもありますが、久留米藩主有馬氏の墓所にもなっています。
墓所には歴代藩主のお墓が並んでいます。
梅林寺を出ると筑後川に差し掛かります。
筑後川は「筑紫次郎」という別名があり、九州で一番大きな川です。
この長門石橋の横には九州新幹線が通っています。
しばらく待つと「つばめ」が通り過ぎていきました。
長門石の町を通りすぎるとラーメン屋さんにこんな看板が・・・・・・
何か懐かしいですね。
みやき町の千栗八幡宮を折り返しまた久留米市に入ります。
筑後川の河川敷を歩いていると右側に水天宮が見えてきます。
社伝によれば
寿永4年(1185年)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使の局伊勢が千歳 川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ 原に逃れて来て、建 久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門 の霊を祀る祠を建てたのに始まる。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加 持祈祷を行ったこと から、当初は尼御前神社と呼ばれた。そのころ、中納言平知盛の孫の平右忠が肥後国から千代を訪れ、その後 嗣とした。これが現在まで 続く社家・真木家の祖先 である。幕末の志士・真木保臣は第22代宮司であり、 境内社・真木神社に祀られている。
慶長年間(1311年 - 1312年)に久留米市新町に遷り、慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によっ て現在地に社殿が整えられ遷座したのが現在総本 宮である久留米水天宮である。 その後も歴代藩主により崇 敬されたが、特に第9代藩主頼徳は、文政元年(1818年)に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、その 後明治4 年に現在の東京水天宮にご遷座された。 明治元年(1868年)には元神明宮に分霊され相殿に祀られる。
水天宮は安産の神様でちょうど私たちがお詣りしていたころ宮参りの家族連れの方が参拝に来られていました。
お許しを得て写真を
また河川敷に入りしばらく歩くと久留米藩篠山城跡が見えてきます。
昔々のことで申し訳ございませんが、私が学生のころここで映画の撮影をしていた時面白いエピソードがあります。
撮影していたシーンは、ちょうど刑務所から脱走しこの城跡に逃げ込んだという設定。
撮影はスムーズに行われて、あと何カットかの撮影でその日の終了という時でした。
その時消防車のサイレンが・・・・・
近くで放火があり犯人がこの近くに逃げ込んだそうです。
警察が近くを山狩りしているとの情報。
すぐ私達のクルーズに警察の方が捜索に来られました。
主人公は刑務所を脱走しているから囚人服です。怪しまれない方がおかしいですね。
どこの学校か、責任者は誰だとか、いろいろ聞かれます。
30分ぐらい経ったでしょうか、警察の方に「犯人逮捕」の無線が入り私たちは無事釈放?されました。
警察の方から事情聴取されるのはみんな初めての経験で緊張しっぱなしでした。
話がとんだ方に進みましたが、篠山城址を降りるとそこはブリジストンの工場です。
道路もブリジストン通りとなっています。
時計も12時近くなりましたのでお腹もすいてきました。
以前久留米に在住の方に美味しいラーメン屋さんがこのあたりにあるということで
ちょっとルートを外れそのラーメン屋さんを探すことにします。
明善高校の近くと聞いていましたのでそこを探すと・・・・・ありました。
店にはもう10人ぐらい待たれています。
15分ぐらい待ったでしょうか、やっと注文のラーメンと焼き飯が運ばれてきました。
やはり噂通り美味しいです。
店のメニューを見ますとうどん、牛丼もあります。
然し店の中を見渡すと誰もうどん、牛丼など注文していません。
お腹もいっぱいになりまたコースに戻ります。
この辺りは荘島町になります。
そうそう荘島町といえば、ウオーキングシューズのムーンスターの本社があります。
ムーンスターには昨年までSNSがあり私も参加していました。
こちらではたくさんのウオーキングフレンドを紹介していただき今でもこのほとんどの方と
交流しています。
「つきほし歴史館」では月星(現ムーンスター)の歴史を見ることができます。
このあと久留米出身の画家「青木 繁」「坂本繁二郎」の旧宅を見て回りました。
私の足の具合はちょっと痛いぐらいですが、歩くのには差し支えなく、これで今週の
ウオーキング大会も何とか歩ける気がしました。
JRウオーキングに参加しました。
午前10時JR久留米駅をスタート。
すぐ梅林寺に入ります。
この梅林寺は梅の名所でもありますが、久留米藩主有馬氏の墓所にもなっています。
墓所には歴代藩主のお墓が並んでいます。
梅林寺を出ると筑後川に差し掛かります。
筑後川は「筑紫次郎」という別名があり、九州で一番大きな川です。
この長門石橋の横には九州新幹線が通っています。
しばらく待つと「つばめ」が通り過ぎていきました。
長門石の町を通りすぎるとラーメン屋さんにこんな看板が・・・・・・
何か懐かしいですね。
みやき町の千栗八幡宮を折り返しまた久留米市に入ります。
筑後川の河川敷を歩いていると右側に水天宮が見えてきます。
社伝によれば
寿永4年(1185年)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使の局伊勢が千歳 川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ 原に逃れて来て、建 久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門 の霊を祀る祠を建てたのに始まる。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加 持祈祷を行ったこと から、当初は尼御前神社と呼ばれた。そのころ、中納言平知盛の孫の平右忠が肥後国から千代を訪れ、その後 嗣とした。これが現在まで 続く社家・真木家の祖先 である。幕末の志士・真木保臣は第22代宮司であり、 境内社・真木神社に祀られている。
慶長年間(1311年 - 1312年)に久留米市新町に遷り、慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によっ て現在地に社殿が整えられ遷座したのが現在総本 宮である久留米水天宮である。 その後も歴代藩主により崇 敬されたが、特に第9代藩主頼徳は、文政元年(1818年)に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、その 後明治4 年に現在の東京水天宮にご遷座された。 明治元年(1868年)には元神明宮に分霊され相殿に祀られる。
水天宮は安産の神様でちょうど私たちがお詣りしていたころ宮参りの家族連れの方が参拝に来られていました。
お許しを得て写真を
また河川敷に入りしばらく歩くと久留米藩篠山城跡が見えてきます。
昔々のことで申し訳ございませんが、私が学生のころここで映画の撮影をしていた時面白いエピソードがあります。
撮影していたシーンは、ちょうど刑務所から脱走しこの城跡に逃げ込んだという設定。
撮影はスムーズに行われて、あと何カットかの撮影でその日の終了という時でした。
その時消防車のサイレンが・・・・・
近くで放火があり犯人がこの近くに逃げ込んだそうです。
警察が近くを山狩りしているとの情報。
すぐ私達のクルーズに警察の方が捜索に来られました。
主人公は刑務所を脱走しているから囚人服です。怪しまれない方がおかしいですね。
どこの学校か、責任者は誰だとか、いろいろ聞かれます。
30分ぐらい経ったでしょうか、警察の方に「犯人逮捕」の無線が入り私たちは無事釈放?されました。
警察の方から事情聴取されるのはみんな初めての経験で緊張しっぱなしでした。
話がとんだ方に進みましたが、篠山城址を降りるとそこはブリジストンの工場です。
道路もブリジストン通りとなっています。
時計も12時近くなりましたのでお腹もすいてきました。
以前久留米に在住の方に美味しいラーメン屋さんがこのあたりにあるということで
ちょっとルートを外れそのラーメン屋さんを探すことにします。
明善高校の近くと聞いていましたのでそこを探すと・・・・・ありました。
店にはもう10人ぐらい待たれています。
15分ぐらい待ったでしょうか、やっと注文のラーメンと焼き飯が運ばれてきました。
やはり噂通り美味しいです。
店のメニューを見ますとうどん、牛丼もあります。
然し店の中を見渡すと誰もうどん、牛丼など注文していません。
お腹もいっぱいになりまたコースに戻ります。
この辺りは荘島町になります。
そうそう荘島町といえば、ウオーキングシューズのムーンスターの本社があります。
ムーンスターには昨年までSNSがあり私も参加していました。
こちらではたくさんのウオーキングフレンドを紹介していただき今でもこのほとんどの方と
交流しています。
「つきほし歴史館」では月星(現ムーンスター)の歴史を見ることができます。
このあと久留米出身の画家「青木 繁」「坂本繁二郎」の旧宅を見て回りました。
私の足の具合はちょっと痛いぐらいですが、歩くのには差し支えなく、これで今週の
ウオーキング大会も何とか歩ける気がしました。