先週の日曜日JRウオーキングで大宰府を散策しました。
【太宰府】といえば、大宰府天満宮ですね。
都を追われ九州大宰府に流されそこで詠んだ歌が
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
一夜にして飛んで来たという「飛梅」は天満宮本殿の横にあります。
太宰府天満宮は学問の神様で受験シーズンになるとたくさんの受験生が
参拝に来られます。
今日は韓国からのツワー客が来られていました。
太宰府天満宮に通じる池は「心字池」と呼ばれそこにある太鼓橋は
過去、現在、未来を指しているそうです。
参道にはお土産屋さんがたくさん並んでいます。
ここの名物は「梅が枝餅」
私の同級生もここで梅が枝餅店を開いていますのでそこに立ち寄り
餅を買ってきました。同級生は外出中で会えませんでした。
天満宮の横の方には「光明禅寺」があり九州の紅葉のスポットです。
紅葉は?とみると少し紅くなりかけています。
天満宮から約2kmぐらい行くと「大宰府政庁跡」があります。
奈良時代から平城京の出先として韓国、中国、などとの政治交流の場であり
九州全土を管轄していました。
ここには先ほどの菅原道真の他、山上憶良、大伴旅人などが高官として
都からやってきました。
「青丹よし寧楽(なら)の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」
これは教科書で習いましたね。「あおによし」が枕詞で「奈良」にかかっている・・・
試験にも出ましたね。
この歌は作者の小野 老(つゆ)が大宰府に赴任した時に都を思って詠んだ歌です。
意味はおわかりですね。
「奈良の都は、におうように花が美しく咲き、今真っ盛りである」
奈良、平安時代この都から遠く離れた大宰府に都の出先があり人材の交流も
激しく行われたそうです。今でこそ新幹線でしたら4時間弱ですが昔は相当の時間が
かかったのでしょうね。
唐招提寺を建てた「鑑真和上」も薩摩~佐賀を通りこの地のお寺に滞在しています。
ここから瀬戸内を通り平城京に行かれました。
昨年奈良のウオーキング大会に参加して平城京あたりを歩きましたが
奈良には土佐町」というのがあって平城京を建てるときに土佐からたくさんの人が
奈良に入ったそうです。
今でこそ通信手段はメール、携帯、FAXなどいろんな種類がありますが
この時代どうやって通信したのでしょうか?
いろいろ考えて見ますと歴史って面白いですね。
【太宰府】といえば、大宰府天満宮ですね。
都を追われ九州大宰府に流されそこで詠んだ歌が
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
一夜にして飛んで来たという「飛梅」は天満宮本殿の横にあります。
太宰府天満宮は学問の神様で受験シーズンになるとたくさんの受験生が
参拝に来られます。
今日は韓国からのツワー客が来られていました。
太宰府天満宮に通じる池は「心字池」と呼ばれそこにある太鼓橋は
過去、現在、未来を指しているそうです。
参道にはお土産屋さんがたくさん並んでいます。
ここの名物は「梅が枝餅」
私の同級生もここで梅が枝餅店を開いていますのでそこに立ち寄り
餅を買ってきました。同級生は外出中で会えませんでした。
天満宮の横の方には「光明禅寺」があり九州の紅葉のスポットです。
紅葉は?とみると少し紅くなりかけています。
天満宮から約2kmぐらい行くと「大宰府政庁跡」があります。
奈良時代から平城京の出先として韓国、中国、などとの政治交流の場であり
九州全土を管轄していました。
ここには先ほどの菅原道真の他、山上憶良、大伴旅人などが高官として
都からやってきました。
「青丹よし寧楽(なら)の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」
これは教科書で習いましたね。「あおによし」が枕詞で「奈良」にかかっている・・・
試験にも出ましたね。
この歌は作者の小野 老(つゆ)が大宰府に赴任した時に都を思って詠んだ歌です。
意味はおわかりですね。
「奈良の都は、におうように花が美しく咲き、今真っ盛りである」
奈良、平安時代この都から遠く離れた大宰府に都の出先があり人材の交流も
激しく行われたそうです。今でこそ新幹線でしたら4時間弱ですが昔は相当の時間が
かかったのでしょうね。
唐招提寺を建てた「鑑真和上」も薩摩~佐賀を通りこの地のお寺に滞在しています。
ここから瀬戸内を通り平城京に行かれました。
昨年奈良のウオーキング大会に参加して平城京あたりを歩きましたが
奈良には土佐町」というのがあって平城京を建てるときに土佐からたくさんの人が
奈良に入ったそうです。
今でこそ通信手段はメール、携帯、FAXなどいろんな種類がありますが
この時代どうやって通信したのでしょうか?
いろいろ考えて見ますと歴史って面白いですね。