白澤の一里塚を過ぎ、鬼怒川に向かって歩きます。
鬼怒川河原には、「鬼怒川の渡し跡」があります。遺跡か何かあるのかな?と思いましたが、この案内板だけでした。あとで調べてみると、
栃木県史の白沢宿鬼怒川については、「鬼怒川は、平常は広い河原で、川幅30間(約54m)であるが、出水時は8町(約872m)にも及ぶ大河で、渡船があった。雪どけの増水期からの
夏期3月から10月まで渡船、11月から2月の冬の渇水期は板橋を架けた」と記されている。
鬼怒川というと、温泉のイメージがありますが、鬼怒川温泉は、日光の方です。ここからはちょっと遠いです。
鬼怒川に架かる「阿久津大橋」を渡ります。この橋には、歩道橋もなく橋の隅の方を歩きますが、車が勢いよく飛ばしていきますのでその風圧で飛ばされそうになります。
車のドライバーさんもこの橋を歩いて渡る人なんかいないとおもっているのでしょうか?
阿久津大橋の中間点が宇都宮市とさくら市の境界です。さくら市は、平成17年(2005)塩谷郡氏家町と喜連川町が合併して誕生しました。人口約44、000人。
シルビアシジミは、蝶のことです。てっきりシジミ貝かと思ってました。
鬼怒川を渡り「與作(よさく)稲荷神社」に向かいます。
三本松(現河内町・白澤)に流れ着いた稲荷社がここに移されました。村人、旅人、鬼怒川の船頭等が詣でると様々な霊験が現れ、奇瑞(きずい)がおこったといわれ、爆発的な稲荷信仰が
起きました。門前には稲荷町が出来て、参拝者の飲食遊興の場となりました。然し、河岸の衰退とともに霊感談も消え、境内も賑わいも遠い昔の物語になってしまいました。
船玉(魂)神社 徳川家康が江戸城に入部すると、領地である関八州諸国からの建築用材や食糧の輸送はもっぱら川船によった。幕府が開かれ、やがて参勤の制が布かれると、東奥の糧穀や
物産などは、阿久津まで陸送され、ここから川船で江戸に送られるようになり、さらに商用の荷駄も旅人もこれを利用するようになった。川船の発着所を「河岸」という
阿久津河岸は奥州街道の鬼怒川渡河点にあたり、最上流に位置するという地の利を得て、慶長以来、明治の中期まで水陸交通の要地として300年間の繁栄を続けた。
鬼怒川上流独特の川船を「小鵜飼船」といい、また、船頭たちが水上安全の守護神として河岸場にまつったのが、船のみたま・船玉(魂)大明神である。境内は船の形を模して作られたといわれ、
舳の位置に神殿がたてられており、一般の神社とは趣を異にしている。
浮島地蔵 鬼怒川沿岸の人達が恐れたのは、洪水や水死などの水難です。それを救済してもらおうと水神や地蔵などの民間信仰が生まれ、特にこの浮島地蔵が信仰されました。
どんな洪水にも流れず浮いてその地に留まり救済する霊力のあるのが浮島地蔵です。元文4年(1739)の造立。
将軍地蔵 源義家が奥州征伐に向かう途中、鬼怒川釜ヶ渕の悪蛇に進路を阻まれました。そこで宗円法師が念じると「将軍地蔵」が現れ、悪蛇を退散させてしまいましたので勝山城を守護する
寺院として将軍山地蔵院満願寺を建てました。
室町の頃、ここから日光山に修業にいったお坊さんが意地悪山伏に無理やり素麵を食べさせられて気絶しました。別のお坊さんが来て日光中の素麺を食べつくしたので山伏は降参しました。
お坊さんは、将軍地蔵の姿となり、お坊さんを連れて勝山に帰りました。これから「そうめん地蔵」伝説が生まれ日光責め・強飯式が起こったといわれています。
勝山城址から左折します。スーパーの横を通り国道4号線を横切ります。この国道歩道がありません。先の信号で車が止まっているのを見て走って渡りました。
お伊勢の森 伊勢神宮を勧請したもの。氏家の宿役人は、氏家以北37大名の参勤や公用役人等の送迎をここで行いました。
大谷街道と合流する地点に「道標」があります。道標には、「右 江戸海道」「左 水戸かさま 下だて 下づま」と刻まれています。
氏家宿に入ってきました。
勝山城が廃城になると禄を失った旧臣「平石佐渡守等三十六人衆」が宿形成に尽力しました。阿久津河岸の集積地で宿内には諸藩の蔵が並び、会津中街道、会津西街道、原方街道の要衝を
控え、大いに賑わいました。天保14年(1843)の奥州道中宿村大概帳によると、氏家宿の宿内家数は、235軒、うち本陣1(平石本陣)、脇本陣1(石井脇本陣、村上脇本陣)、旅籠35軒
宿場人口は、879人(男449人、女430人)でした。
時間も17時を過ぎました。氏家駅東口の信号から氏家駅に向かいます。
ちょうど17:24の宇都宮駅行きがありました。
3/28のGPSです。
奥州街道を歩き始めました。
栃木県はほとんど知らない土地ですので歩いているとみんな新鮮で楽しんで歩いています。
長い距離です。体調には十分ご慈愛ください。
尚、私のブログサイトが本日より新しいサイトへ引っ越しましした。(ウェブリブログが2023年1月で閉鎖のため)
来年1月までは旧アドレスで新ブログサイトへ変わるそうです。もし変わらなければ次回新アドレスをお知らせいたします。
福島花見山ツーデーマーチに参加するため早めに福岡を出て前から気になっていた「奥州街道」に挑戦しました。今回は白河の関を通って陸奥白河迄です。
新しいブログサイトに引っ越しされたそうですね。あすかさんのブログも登録しました。