よっちゃんのおててつないで

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2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

ビワイチ徒歩の旅9日目「長浜~彦根」(滋賀県長浜市~彦根市)

2023-12-08 15:02:27 | 琵琶湖一周徒歩の旅

11/26(日)ビワイチ9日目、今日は、長浜から彦根まで約16kmを予定。

昨日まで宿泊した今津のホテルをチェックアウトし、荷物を持って湖西線近江今津駅から長浜駅まで移動します。

北陸本線の乗換駅の近江塩津駅では、長い階段を荷物を持って移動しました。ホント、エレベーターの設置が望まれます。

今日宿泊する長浜のホテルに荷物を預け、ビワイチスタート。

長浜港近くには、長浜鉄道スクエア、慶雲館があり、まずそこを見学。

長浜鉄道スクエアは、「旧長浜駅舎」、「長浜鉄道文化館」、「北陸線電化記念館」の3施設からなる鉄道資料館です。

<旧長浜駅舎>
 1882年(明治15年)に北陸線の始発駅として建設された初代の長浜駅。現存する駅舎としては日本最古のもので、第1回の鉄道記念物に指定されています。施設内は、駅長室や待合室など、当時の面影をそのまま残しています。また、敷地内には、旧北陸本線のトンネルに掲げられていた扁額(石額)や旧長浜駅29号分岐器ポイント部などの明治の鉄道遺産も展示しています。

<長浜鉄道文化館>
 2000年(平成12年)10月14日の「鉄道の日」に、旧長浜駅舎に隣接して開館。長浜の鉄道史を紹介するほか、琵琶湖水運に関する資料、北陸線を走った鉄道の模型車両などを展示しています。

<北陸線電化記念館>
 北陸線で活躍した歴史的車両「ED70形1号機交流電気機関車」と「D51形793号機蒸気機関車」を展示しています。また、交流電化と直流電化の違い、全国の交流電車などについてパネルなどでわかりやすく展示しています。

  

扁額(石額)

  

 

 

長浜鉄道スクエアの向かい側が、「慶雲館」です。

明治19年(1886年)秋、明治天皇皇后両陛下が翌年京都行幸啓の帰路に大津から船を利用し、長浜に上陸されるとの報が入りました。

長浜に上陸をされてから鉄道へ乗り換える時間に滞留するための適当な施設が無かったことから、当時太湖汽船頭取を務めていた長浜の実業家・浅見又蔵氏は早速私財を投じ、天皇陛下の誕生日である11月3日に行在所建設を着工しました。 行幸啓は翌年2月21日ですから、3ヶ月余りの突貫工事。行幸啓当日の朝に完成する慌ただしさだったと伝えられています。天皇皇后両陛下は同日の13時前に長浜に到着され、慶雲館で休憩し13時45分の列車で名古屋へ向かわれました。

 

 

 

慶雲館からビワイチに戻ります。さざなみ街道の県道2号線を歩きます。

長浜港・・・ここからも竹生島観光船が就航しています。対岸は、昨日まで宿泊した高島市今津、琵琶湖の中で長浜と今津間の幅が約22kmと最大です。

琵琶湖周航の歌にも♪今日は今津か 長浜か…♪と歌われています。

 

琵琶湖沿いの歩道を歩きます。右側のガードフェンスの所に「赤とんぼ」の歌碑が・・・・ガードフェンスのパイプを叩くとメロディが流れるようになっています。

   

歩いていると左側に大きな仏像が建っています。これは、滋賀県長浜市にある臨済宗妙心寺派の平安山良疇寺(りょうちゅうじ)。

こちらの境内には、琵琶湖を背にして大きな大仏さまが立っておられます。その名も「長浜びわこ大仏」です。高さ28m。

 

長浜バイオ大学が左側にあります。その横には長浜ドームです。

 

道の駅近江母の郷で休憩。1997年(平成9年)開設。駅名となっている「母の郷」とは、この地域の特産品である近江真綿が女性の手によって製造されていたことに由来している。

 

休憩後再スタート。ここからは伊吹山が綺麗に見えます。

天野川(あまのかわ)にやってきました。あまのかわというと、「天の川」を連想しますが、調べてみるとありました。

この地に残る七夕伝説は、雄略天皇の皇子「星川稚宮皇子」と仁賢天皇の皇女「朝嬬皇女」の悲恋により伝わるものです。5世紀後半頃の話と言われています。互いに米原の天野川により

隔てた地におり、2人は仏道の修行に励まれていました。会うこともままならず、叶わぬ恋に終わってしまったのです。

全国には、いろいろな七夕伝説があります。ここもその一つでしょう。

  

朝妻湊は古代から東海・北陸地方の人の行き来や荷物の運搬など、湖上交通の要港として発展してきました。歴史上でも秀吉が京の大仏殿建立の際、尾張や美濃から木材を運搬し、木曽義仲の後続部隊の出陣時にも朝妻湊を経て戦地に向かうなど、重要な役割を果たしてきました。しかし江戸時代に入り彦根藩主、井伊氏が米原湊を御用港として保護するのを境に、それまで

行われていた湖上交通は制限され、港のにぎやかさは影をひそめました。今では朝妻湊跡の石碑、港内に敷き詰められた石畳が、当時を偲ぶものとして残っています。(長浜・米原を楽しむ)

朝妻千軒と呼ばれていたので結構発展した湊だったのでしょう。

 

なべかまの里 筑摩」という看板があります。この地でなべ・かまを生産していたのかな?と思い、調べると、何と「鍋冠祭り」でした。

毎年5月3日、滋賀県米原市の筑摩神社(ちくまじんじゃ)で『鍋冠まつり』(なべかぶりまつり)が行なわれます。筑摩地区は桓武天皇の時代に内裏大膳職の御厨(みくりや=神饌を調進するための領地)が置かれた地。筑摩神社の春の例祭『鍋冠まつり』は、近江を代表する奇祭で、米原市無形民俗文化財に指定。

数え年8つの少女8人が、狩衣(かりぎぬ)姿に張子の鍋をかぶって、約300名の行列とともにお旅所から神社まで1kmほどを渡御します。
例年14:00頃に筑摩の御旅所を行列が出発し、15:30頃〜16:00頃に筑摩神社の本殿に参進します。

『鍋冠まつり』の起こりついては諸説ありますが、筑摩神社の祭神が食物の神・御食津神(うかもみたま)であること、当地の御厨から神前に作物、魚介類などを供えるとともに、

特産であった鍋を贖物(罪のあがないとして出す物)としたことが、原初の姿ではないかと推測されています。

当初は、過去には鍋冠りは数え年8つの少女ではなく15歳未満の少女で、それまでに交際(関係)した男の数だけ鍋釜を冠るという不文律があり(貞操を守らせるため)、『伊勢物語』にも

「近江なる 筑摩の祭 とくせなむ つれなき人の 鍋の数見む」(第120段)と詠われるほど有名でした。
さらに「若しその中に犯淫の輩在るときは、必ずその鍋落ちて発覚す」(筑摩神社『筑摩大神之紀』)とも。
江戸時代に、少ない数の鍋をかぶった女性に神罰が下り、かぶっていた鍋を落とされ笑いものにされたことで自殺するという事件が生まれ、藩主の井伊家が断絶を通告。
その後、数え年8歳ならという事で継承したという歴史を有しているのです。(ニッポン旅マガジンより)

今でいうならば「セクハラ」にあたるでしょうね。

  

  

琵琶湖の沖に「多景島(たけしま)」が見えてきます。昔は、竹島と呼ばれたそうです。

見る方向によってさまざまな景色を見せることからその名が付いたといわれる多景島は、彦根市街より沖合約6.5kmに浮かぶ周囲600mの小さな島です。彦根港から遊覧船で行くことが

できます。島全体が断崖絶壁で、岩の上に松や竹が生い茂り風致(ふうち)に富んでいます。
島内には日蓮宗の見塔寺や桜田門外の変で井伊直弼(いいなおすけ)が水戸(みと)藩士に暗殺された時、鮮血を滲ませたという題目(だいもく)岩などの名所があります。島の西4kmに

浮かぶ白石はここから眺めるのが一番美しいといいます。彦根港より、オーミマリンの観光船が運行しています。(びわ湖観光情報より)

 

磯崎神社 伊吹山の荒ぶる神の毒気に当たった日本武尊が、醒井の居醒の清水で正気を取り戻し、都へ帰る途中に千々の松原にて崩御され、ここ磯山に葬られたと伝えられています。
崩御された日本武尊は白鳥になって飛び立ったとも伝わっています。日本武尊を祭神として祀るため、この神社が建立されました。毎年5月3日の例祭では「磯武者行列」が行われ、日本武尊にあやかって男児は武者姿、女児は稚児姿で巡行します。

 

 

彦根市に入りました。入るとすぐ右側に「ミシガン州立大学連合日本センター」があります。

滋賀県とミシガン州の姉妹提携20周年を記念して、1989年に設立された施設で、日米両国、特に滋賀県とミシガン州のさらなる友好関係に寄与することなどを目的に、日本語・日本文化

プログラム、英語プログラム、JCMU学生と滋賀県民との交流など、これまでに例のない画期的な事業に取り組んでいます。当センターの運営は、ミシガン州の15の州立大学の連合体が

あたり、滋賀県の委託により、公益財団法人滋賀県国際協会が施設の維持管理、各種プログラムの運営支援を行っています。

  

ミシガン州立大学連合日本センターの横には、ジュブリルタン クラブハリエ」があります。バームクーヘンで有名なクラブハリエですが、ここはパン専門店です。

お腹も減ってきましたのでここでお昼にします。テラスからの琵琶湖の眺めは最高です。

  

多景島(たけしま)が近くに見えてきました。

 

 

歩いていると「彦根城」が見えてきました。お堀の紅葉が綺麗です。

 

 

  

姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。

佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。明治時代の廃城令や戦火を免れた

彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。また、彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が

安置されていたため、と言われています。国指定の特別史跡です。

 

 

 

彦根駅から電車で長浜駅へ。

朝、見逃した「長浜スクエア」を見に行きます。

 

黒壁スクエア

北国街道と、長浜城から東に延びる大手門通り(美濃谷汲街道)との交差点は、江戸時代に高札が立ち、現在でも「札の辻」と呼ばれています。古くから長浜の中心だったこの辻に、

明治33年(1900)第百三十国立銀行長浜支店(6年後に明治銀行となる)が建てられ、壁が黒塗りだったことから「黒壁銀行」の愛称で親しまれました。
和洋折衷の重厚な建物は、その後さまざまな変遷を遂げ、平成元年(1989)、「黒壁一號館・黒壁ガラス館」としてオープンしました。低い鉄柵で囲まれた黒漆喰に白い窓枠のモダンな

外観、内部は玄関上部が吹抜けになっています。1階はガラス製のアクセサリーや生活用品など、2階では、世界中からスタッフが直接買い付けたガラス製品を展示販売しています。

この一號館を取り囲むように、約30店が軒を連ね、二號館 スタジオクロカベはオリジナルガラスを集めた工房併設型のショップであり、ガラス職人による制作の実演をご覧いただけます。

また、黒壁体験教室では、7種類の体験メニューをご用意。初心者の方でも気軽にガラス制作の体験をしていただけます。

 

 

  

今日のGPS

今回4日間で今津~長浜迄約82km歩きました。ビワイチ完歩まであと1/3になりました。

明日は、湖東三山の紅葉を見学に行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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