旧国鉄筑肥線跡地を歩くその2です。
樋井川筑肥橋を渡ると、梅光園緑道に入ります。この緑道は、旧筑肥線跡地970Mを緑の散歩道として整備されました。
途中には休憩スポットもあり、ちょっとした散歩道です。
この近くには、友人の家があり、酒を飲みながら語り合ったこともあったっけ。その家は解体されて更地になっていました。
梅光園緑道から筑肥新道に入ります。
旧小笹駅です。少し高台にあったと思います。ホームは1面1線で離合ができませんでした。北側には、動物園(現存)がありました。
私の叔母が平和町に住んでおり、遊びに行くときは、この駅で降りて、平尾霊園を通って行くのですが、この霊園を通るのが怖かったです。
平和交差点の所にも踏切がありましたね。
旧筑前高宮駅は、現在のスーパーサニー辺りでした。高宮や大宰府の高校に通学する友は、ここで下り、西鉄平尾駅から電車に乗って通っていました。
歩いていると西鉄バスの復刻バスが通りました。ちょうど私がこの筑肥線に乗っているころがこのバスでした。
筑肥新道を歩いていると日赤通りに出ます。ここは、中央分離帯があり、渡るには、100Mぐらい離れた横断歩道まで行きます。
しばらく歩くと那珂川筑肥橋です。橋の向こう側には、九州松下電器(現パナソニック)の工場があります。この工場昔は、日本足袋(現アサヒコーポレーション)だったそうです。
那珂川筑肥橋は、欄干に枕木付きの線路、蒸気機関車のデザインが描かれています。橋を渡ると博多区です。
高架橋の下をくぐると旧筑前蓑島駅です。
筑前蓑島駅は、単線でホーム1面、1線でした。今でもホームの一部が残されています。できれば線路も付けて欲しかったな~。
この駅には、高校でいえば、精華女子高校、博多商業高校(現沖学園)が近くにあり、また、日本タングステンや九州松下電器(現パナソニック)、福岡製紙(今はない)などの
工場に近く通勤客の方も利用されていました。
蓑島という駅名は、昔このあたりが蓑島という島からです。ただ、町名は美野島です。昭和44年(1969)住吉校区から独立した際に美野島という町名になりました。
筑前簑島駅廃線跡は、遊歩道になっています。遊歩道の先は、美野島公園です。
旧筑肥線は、このあと、鹿児島本線に合流します。
博多駅は、1963年(昭和38年)までは、出来町の所に駅舎がありました。それから移転し現在の博多駅で博多ステーションビルとして開業しました。
確か、筑肥線は1番ホームだったと記憶しています。
また、私の中学の修学旅行は、この新しくなった博多駅から列車に乗って南九州一周でした。
その博多駅も2011年(平成23年)九州新幹線開業と同時に駅舎も博多シティとして生まれかわりました。
今回、旧筑肥線を歩いて若いころの記憶が蘇ってきました。今では、何回も何回も反復しないと覚えられませんが、若いころの記憶ってまだ残っているのですね。
こちらでは梅の花が満開になりました。来月末には桜の開花ですね。春になりましたね。
コロナは、感染者が減少傾向ですが、夏にはオリンピックが控えていますのでここは、更に減少させ、重症者の割合も少なくして夏のオリンピックを迎えたいですね。