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10/20(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「桂川(けいせん)町の新駅舎と自然・史跡を楽しむ」ウォークでした。
桂川町は福岡県のほぼ中央に位置し、JR篠栗線・筑豊本線で福岡市と30分で結ばれ、福岡都市圏におけるベッドタウンとしての役割を担っています。
また、昭和9年に発見され、同27年に国の特別史跡の指定を受けた王塚古墳は、全国に比類なき装飾古墳として、町民の誇りとなっています。
桂川駅は、令和3年(2021)3月新駅舎に生まれ変わりました。※桂川駅は、昔は、「長尾駅」と呼ばれていました。
難解地名の一つである「桂川(けいせん)町」ですが、町内を流れる泉河内川が古くは、桂川(かつらがわ)とよばれていたことから、この地名がついたそうです。
9:30JR桂川駅スタート。
先ず最初に「王塚古墳」
王塚古墳は、横穴石室の内部のいたる所に描かれた装飾壁画で有名。黄赤青白黒の5色を使った絵は、美術史上でも貴重。
六世紀中ごろに作られたと考えられます。前方後円墳で、その豪華絢爛さはわが国における装飾古墳の頂点として昭和27年に国の特別史跡に指定されています。
王塚古墳より先に進みます。
土居の交差点より左折。
ここには、筑前竹槍一揆の門があります。ここの当主Kさんが丁寧に説明してくれます。Kさん今年89歳なんですが、声も大きく説明もうまいです。
前ブログで「筑前竹槍一揆」を説明しましたが、筑前竹槍一揆の門は、県道444号線の信号機「土居」付近にあります。この門には、その一揆時に打ち込まれた鍬や鉈ぼ傷跡が残っています。
筑前竹槍一揆は、明治6年(1873)嘉麻郡の一角で起こった県民一揆や田川郡で発生した打ちこわしを皮切りに、たちまち筑前全域に広がり、一部は筑後地方を巻き込みながら、勢力を
拡大し、10万人以上が一揆に参加したといわれています。この一揆により当時、福岡城内にあった福岡県庁が襲撃される他、各地で大規模な被害をもたらせました。
今でも福岡城下之橋御門にも刀傷があります。
この一揆は、徴兵制や太陽暦の採用、身分制度の廃止など明治政府による急激的な改革、米価の高騰などが重なった背景がありました。
このK宅は、大庄屋をされていたから襲われたそうです。
竹槍一揆の門から、泉河内川の土手沿いを歩きます。最初の休憩は、桂川町役場横の「桂川住民センター」です。
2回目の休憩は、町民グラウンド。ここには、全天候型のゲートボール場があります。
今日は、朝のうち雨が降っていましたのでそんなに暑くはありませんが、一応給水スポットでした。
町民グラウンドから泉河内川沿いの土手を歩きます。この泉河内川が昔、桂川(かつらがわ)と呼ばれていました。
コースは、再び桂川町役場へ。ゴールまであと2km。
コースは、国道200号線沿いを歩きます。
豆田天満宮の看板が見えてきました。歩道橋も朱色に塗られています。
豆田八幡宮: 豆田は、かつて土師(はじ)庄の中にあり、安楽寺(現在の太宰府天満宮)領でした。土師氏の土師連乙磨(はじのむらじおとまろ)は、菅原道真の没後、
豆田河原に神社を建てその遺品を神体として祀りました
豆田八幡宮の裏手には、「天神山古墳」があります。
天神山古墳は、国道200号線沿いの丘陵に位置する前方後円墳で王塚古墳の南東700mの位置にあります。内部の発掘調査が行われていないので詳細は不明ですが、王塚古墳と
大体同じ6世紀ごろに築造された装飾古墳ではないかともいわれています。規模は、全長が約62mで周りには周濠が巡らされています。
墳丘の一部を天満宮建設によって削られていますが、築造当時の状況をよく残す古墳として学術上貴重な資料であるといわれています。
豆田天満宮の歩道橋を通り、ゴールのJR桂川駅に向かいます。
12:10 桂川駅にゴールしました。
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