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3/4~3/5まで行われた「京都ツーデーウォーク2023」に参加しました。
受付が8時からでしたので8時前に会場に着くと既に長蛇の列です。30分待ってようやくスタートです。
大宮通から花屋町通を西へ進むと、島原の東入口の「島原大門」が見えてきます。島原の正式な地名は「西新屋敷」ですが、六条三筋町からの移転騒動が島原の乱を思わせたことから
「島原」と呼ばれるようになりました。歌や舞を披露する花街として発展し、和歌や俳壇などの文芸活動も盛んに行われました。幕末には西郷隆盛や新選組らも出入りしていたのだとか。
しかし明治以降になると立地条件の悪さなどが影響して衰退し、現在ではお茶屋の輪違屋さんが営業を続けるのみとなっています。
壬生寺(みぶでら)律宗大本山。991年(正暦2)快賢僧都が創建した。本尊は延命地蔵菩薩を祀る。京都の裏鬼門に当たる場所に位置し、厄除け開運を祈願する節分会は950年余の
歴史がある。鎌倉時代、中興の祖・円覚上人が悪疫駆除のために行った法要が、重要無形民俗文化財・壬生狂言の興り。新選組ゆかりの寺であり、壬生塚には新選組隊士11名を祀っている。
また阿弥陀堂地階では、旧塔頭の諸仏の他、壬生狂言・新選組に関する資料も展示している。
境内には、京都十二薬師霊場第四番礼所本尊「歯薬師如来」と、洛陽三十三所観音霊場第二十八番札所・中院本尊「十一面観音菩薩」も祀っている。(京都観光ナビより)
壬生寺から二条へ。ここには、立命館大学、佛教大学があります。
二条駅の近くには、祖母の本籍地があった所です。
妙心寺は、臨済宗妙心寺派の大本山の寺院。この寺院の中を通り抜けます。
コースは仁和寺(にんなじ)を通り、鳴滝橋で20kコースの分岐になります。
広沢池では、何か珍しい鳥がいるのでしょうか、カメラを持った野鳥愛好家が集まっています。
嵐山に入りました。 京都 嵐山 大覚寺
と「女ひとり」というの歌に出てくる「大覚寺」。
清凉寺は、浄土宗の名刹で嵯峨車釈迦堂の名で知られています。
それにしても京都にはお寺が多いですね。お寺の数が日本一だと思っていたのですが、実はお寺の数が多い都道府県は、愛知県です。
京都は、13番目ぐらいです。ただ、大本山とか、総本山などと呼ばれる大きなお寺があるから京都はお寺が多いという印象を受けるのでしょうね。
嵐山の魅力といえば、この数何本の竹林の「竹林の小径」です。野宮神社から天龍寺北門を通り大河内山荘へ抜ける約400メートルの道。手入れされた竹林が道の両脇に続く、京都を代表する観光名所。平安時代には貴族の別荘地だったと言われており、晴れた日には木漏れ日が心地よく、また太陽のない日は昼でも薄暗くなります。
この日も外国の観光客の方が多く来られていました。
嵐山の観光地としては、この「渡月橋」も観光客に人気があります。承和年間(834 - 848)に僧道昌によって架橋したのが最初とされており、現在の位置には後年に角倉了以が
架けたとされる。現在使われている橋は昭和9年(1934年)6月に完成したものである。亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから
渡月橋と名付けられた。嵐山を代表する観光名所であり、春と秋を中心に多くの観光客で賑わう。(京都観光ナビ)
渡月橋を渡り、中之島公園で休憩します。持ってきたパンをいただきました。
中之島橋を渡り、阪急嵐山駅がチェックポイント。ここからゴールまであと約13km。
松尾大社は、お酒の神様、701年秦氏の祖先が創建しました。
梅宮神社は、橘諸兄の母、橘三千代が酒解神、酒解子神(大山祇、木花咲耶姫)を祭り酒造安全と子孫繁栄を祈願した神社。
西京極総合運動場近くの京都アクアリーナが2回目のチェックポイント。
14:15 スタート地点の梅小路公園に戻ってきました。
ゴールの印をもらおうとしますが、長い行列です。30分かかってやっと印をもらいました。
抽選会場も長い列ができています。長い行列を待ったせいか、家内は御菓子の「八つ橋」が当たりました。私は、残念賞でした。
私の所も臨済宗大徳寺派です。大徳寺は、一休さんで有名です。
それにしても京都はお寺が多いですね。みんな門のラインが5本線です。
我が家は臨済宗妙心寺派です!
関東は建長寺なので臨済宗のお坊さんも建長寺ばかりですけど、妙心寺が見られて良かったです。
父と母は行ったことがあると思いますけど私はどんなところか知らなかったので。