森 絵都 著 「ラン」
私は、新聞の書評を見てたし、「カラフル」 も読んでいたので
だいたい、「こういう話」 と予想はしていた。
が、紛らわしいことに、書店で平積みされたこの本の隣には、
「一瞬の風になれ」 が置かれていた。
これは、勘違いして買っちゃう人、いるだろうな、
間違えちゃった人は、読後、どんな感想を持つのだろうと、
心配 (楽しみに) しつつ、「私は、勘違いしてないからね。」 と
心の中でつぶやき、レジに向かった。
で、読み出すと、はまった。
何よりも読みやすく、難解な部分が全くない。
さささと読み進んでしまう。あっという間に読了。
結局は、「カラフル」 同様、“ゴーストもの”(?) なのだが…
ランニングは、物語の主題に対して、添え物なのだが…
それが、どうしたことか、“ランニングもの” としても成立してるではないか!
「なぜ走る?」
「何のために走る?」
「走ることの意味」
私が、いつもドツボにはまる、「なんで~?」 シリーズ(?)
そんなことをも再考させる。
私が初めて、フルマラソンを走ることにした時のことを思い出してみる。
あの時は、イノさんが、わざわざ上京して走るって言うから、
「じゃ、一緒に。」 って、気楽というか、突き詰めて考えることなく、
「なんとなく」 エントリーした。
私の場合、エアロビクスなどで、運動することが日常化していたためか、
マラソンに対する準備は、ほとんどせずに完走してしまった。
(今思うと、ゴールで、もっと感動したかったかも。)
だから、主人公の環 (たまき) たちの、スタートラインに立つまでの、
苦闘の日々に対しての共感は持てなかった。
そんなつらい思いをしてまで、「なぜ挑む?」
と、不思議な気持ちにさせられた。(ここでも、「なぜ?」 だ。)
私は、今までに、11大会のフルマラソンを完走してる。
そんな私でも、フルマラソンは、本当に 「シンドイ」 と思う。
じゃ、なんで走るんだろう?
結局、ここだ。
でも。
答えなんて出す必要はないのだ。
この 「ラン」 を読んで、そう感じた。
「ほーんと、なんで走るんだろうねぇ?」
なんて、(自問する私を) 笑顔で、かわしながら、のらりくらりと走ろう。
ああ、私、あと、いくつのフルマラソンを走るのだろうか。
ひとつ走るごとに、「強く」 (≠「速く」) なれることを信じて!!
■ 追記
今朝方、うつらうつらしながら考えた。
私は、走ることを楽しいと思わない。むしろ、つらいことと思う。
「笑顔で楽しく」 をキーワードに頑張ろうとしていた自分が間違いだった。
「走ることはつらいこと」
それを、さり気なくこなす私自身を誇らしく思う。
自己満足だけど、それでいいんじゃないの。
今日のところは、コレで決まり!!
***************
読後、けっこう爽やかな気分になったりして。
「爽やか青春小説」 と勘違いした向きも、満足してるかもしれないな。
****************
ちょっと調べてみたら、こんなの見つけた。 ⇒ asahi.com
新聞に掲載 (8月3日) されたらしいが、未読。
この記事によると、著者の森さんは、実際にフルマラソンを走ったそうだ。
作家さんも大変だ。