夏の間、足の不調だとかなんとかで家事をずいぶんサボっていたせいで、ほんとに家の中が乱れてる。
なんて、書いてる間に掃除片付けしなさい!!・・・って話なんだけど、いや、今日は朝からちょっとやりました。
私はほんとに掃除片付けが苦手で、片付けられない女の話が出ると、もうビックビクしてしまう。
狭い範囲だったらできるんですけど。これはほんとです。
だから、子どものとき、学校の机の引き出しはきれいだった。生活委員もした。小学校はせいりせいとん係とかだっけ。
今でも局所的にはめちゃくちゃきれいなところがある。
排水口とか。
台所と風呂場に限り、だけど。
ここが汚いとげっそりするじゃないですか。だから、これだけは毎日ぴっかぴかにします、これもほんとです。
台所はもう10年以上使ってるけど、いつ誰に見てもらってもはずかしくない、排水口だけは。そんなん見ないけど、誰も。
お風呂場のだって、なめられるほどやと思う。誰もそんなんしないけど(^^;)
まあ、そういうわけで、やっとひとりの時間ができたから、今週から毎日一箇所ずつきれいにすることにしました。
それならなんとかできそう。どんな小さなとこでもいいとして少しずつなら。
今日は洗濯の下洗い場と、トイレの棚など。
そこに母からもらった光る石がありました。
もう10年近く前、実家に帰ったときに見慣れないものがあったからじいっと見ていたら、「きれいやろ、あんたにもあげるえ」と言って、ビニール袋に入れてくれて。
でも、正直言って私の趣味ではなかった。実家の母の空間なら収まりがいいかもしれないし、きれいだと思った。
でもでも、私は置く場所が見つからなかった。
と言ってもせっかくの好意だし、お礼を言ってもらって帰りました。
それ以来、あっちこっちに移動して、今はトイレの棚に鎮座ましていたのでした。
たしか無印でガラスの小さいボールを買ってきて、それに入れて。でも、それでもやっぱりイマイチ好きになれないままずっとあって。
今日見たら埃をかぶってかわいそうなことになっていました。
それで、それをひとつひとつお湯で洗って、ていねいに乾いたもので拭いて。
そしたらどうでしょう。ほんとにきれいになりました。
そして、電気をつけないでほの暗い棚の上に置くと、とてもかわいいジェリービーンズのように見えてきました。
ひとつひとつ、きれいにしてあげた、それだけでいのちが吹き込まれたような気がしました。
なんだかいとしくなってじーっと見ていたら、あかん、だめです、もらったときのこと、母との会話、声も思い出してしまって。
ものはものではなく、そのものにまつわる時も空気もにおいのようなものも含み持っていて、こうしていのちが吹き込まれたように感じたとたん、それを全部つれてきてしまいます。
まだ子どもたちも小さかったころ、京都の実家で過ごした夏のあれこれを。
うーん、こまった。
きれいになってとてもよいのだけれど、その途端饒舌になったように感じる光る石たち。
埃をかぶっていたのは、私の心がそれにふれたくなかったからかもしれないなあ。
でも、いつまでもそのままじゃいられない。洗ったり、拭いたり、そういうひとつひとつがきっととてもだいじなこと。
今日もがんばっていこう。