2024/09/26
高坂はる香さんの
『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』を
読み終えたのですが、とても興味深かった。
高坂はる香さんの文章はわかりやすい。
こちらに知識がないことも
痒いところに手が届くような説明があります。
中村紘子(敬称略)に敬愛の念を持ちつつ
偏ることなく正確に書こうというスタンス。
1959年、第28回音楽コンクール
(毎日コンクール)、ピアノ部門で
最年少15歳で優勝した中村紘子。
1960年にN響が行った世界ツアーに
ソリストとして同行した話は
とても興味深いのです。
昭和35年のあの時代
コンチェルト経験も少ない16歳の高校生が
N響の世界ツアーに同行して
演奏したことは今考えても驚きです。
(母親や付き人はいなかったらしい)
動画では16歳の中村紘子が振り袖姿で
BBCテレビ番組収録で
ショパンのピアノ協奏曲第1番を弾いています。
N響から振り袖でと依頼があったそうで
帯結びも難しい振り袖を着て
演奏しています。
きっと袖は重く
腕が動きにくかったでしょう。
(後に紘子は書いています。
あの時は一人で振り袖を着られたけれど
日本に帰ったら着られなくなっていた。
火事場のバカ力のようなものでしょう、と)
その時の動画があります。
Chopin Piano Concerto No.1 1st.Mov. ♪ Hiroko Nakamura (1960) ♪
(感謝して動画をお借りします)
高坂さんは、本著の中で何度も
中村紘子は度胸のある親分肌の性格だと
書いています。
若いときから肝の座った演奏だったのだろう
と、思いきや
こんなふうに書かれていました。
〈この時の演奏について紘子は
オーケストラの前奏を待っている間に
「カーッときちゃって最初のコードが
どこから始まるんだかわからなくなった。
どうしようと(中略) えい!と思って手を出したら
当たったんです(笑)」 〉
😱 !
すべて暗譜でやらなければならない
ピアニストは過酷ですね。
中村紘子の本は昔から好きで
何冊か読んでいるのですが
その中で印象深く覚えている言葉があります。
≪若いとき(たぶん10代以前)に
覚えた曲は40度の熱があっても弾けるが
大人になって覚えた曲は弾けない≫
というもの。
この言葉が印象に残っています。
若いうちに身についたものは
無意識でも弾けるくらい脳に体に
しみ込んでいるということでしょうが
紘子も40度の熱を出しながら
ステージを務めたことがあるんだなあと
感慨深く思ったのでした。
若いうちに身につけることの大切さは
本著の後半に書かれているので
いずれご紹介すると思います。
この本は2017年出版ですが
題名だけは知っていても
すぐに手に取ることがありませんでした。
そこまでの興味は
抱いていなかったのが正直なところ。
でも、もっと早く読めばよかったと思います。
2021年のショパンコンクールも
もっと理解できたのではと思います。