はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

サントス一家とのおつきあい

2024年02月15日 | 昔の話
2024/02/15


角野栄子さんが初めて書いた物語
『ルイジンニョ少年』を読んでました。

 
ルイジンニョ少年とは
角野栄子さんが1959年、24歳から2年間
移民として暮らしたブラジルで
親しくしていた家の9歳の少年です。


帰国後、大学の恩師から勧められて
その本を書いたことで
それ以来書く仕事を続けてきた
ということでした。


その本を読んでいたら
懐かしく思い出したことが
ありました。

私もブラジル人一家と
親しくしていたなあということ。

その一家とは
清水エスパルスのサッカー選手
カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントスです。

静岡時代に、私のいた地区には
清水エスパルスの海外選手たちが
何人か住んでいたのです。


サントス選手は精悍な風貌でしたが
温和な紳士でした。

奥さんのアレッチはきれいな人で
明るくてチャーミング。
とても交際上手な人でした。

小学生の子が2人いて
地元の小学校に通っていたので
近所付き合いにも溶け込んでいましたね。


男の子がカルロス(愛称カカ)で
当時9歳くらいだったと思います。

主人公ルイジンニョ少年と
カカは同じ年頃でしたし
ラテン系の性格の中にカカを感じて
懐かしく感じました。


妹のジュリアーナ(ジュジュ)は2歳年下。
髪の毛がクルクルで
とてもかわいい子でした。

いただいた年賀状です



アレッチに頼まれて、カカとジュジュに
リトミックとピアノを教えていました。

ピアノを弾くカカ。


ジュジュ


サントス夫婦は
言葉もままならない日本で
一生懸命子育てをしていました。

子どもたちの誕生日には
にぎやかなパーティをして
大勢の友人、知人を招いていました。




ポンデケージョというチーズパンを
初めて食べたのも
アレッチの手作りをいただいた時でした。


サントス一家はその後ブラジルに戻りました。
監督の資格を取るために
一旦ブラジルに戻ると言っていました。

ブラジルの住所も書いて
置いていってくれたれど
私は忙しさに紛れて
(ポルトガル語で文章が書けなくて)
手紙を出すこともしなくて
ほんとうに申し訳ないことでした。

カカもジュジュももう30歳を
過ぎているはずです。

今はどうしているかしらね…。

サントス一家のことは
いつか書きたいと思っていました。

私がサッカー選手と知り合いだった
なんて、すごくいい思い出。

写真も25年前のものですから
ここに載せてもきっと許してくれる
のではと思って載せました。




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