2024/11/28
最近、「マウントを取る」という
言い方を聞くようになりました。
以前は聞いたことのなかった言葉です。
私にはマウントを取るとか
取られるとか
今までそういう意識をもつことが
ありませんでした。
それで
なんだろうと手に取った本です。
『人生が整うマウンティング大全』
本の紹介文です。
本の紹介文です。
「人生を好転させるにはマウンティングを理解し
使いこなすことが必要不可欠である」
使いこなすことが必要不可欠である」
今の社会ではそんなに
マウントを取るのが大切なのかしら。
「はじめに」にはこんなことが書かれています。
〈SNSなどの一般化によって、個人からさまざまな情報が発信されるようになった結果、ほかの人がどんな生活を送っているのかをリアルタイムで知ることができるようになった。しかし、それによって弊害も生まれてきている。自身の充実した生活をSNS上でアピールする「マウンティング合戦」が絶え間なく繰り広げられ、マウンティングによって精神を疲弊させる「マウンティング疲れ」が増加した~〉
マウントを取るために
これみよがしにリア充をご披露している。
そして、互いに自慢の応酬になり
書いたほうも読むほうも
疲れさせているとか…。
人の生活はそれぞれ千差万別で
比べるほうがおかしいと思うのですが。
ここに書かれていることが
そのとおりなら
すべてのことがマウントに
なってしまいそうです。
例えば
・ニューヨークマウント
〈申し訳ありません、その日はあいにくのニューヨーク出張で、同窓会に参加することができません〉
イベントに参加できない理由として「ニューヨーク出張」をあげ、自身のグローバルな活躍ぶりを周囲に見せつける。〉
・著名人と知り合いマウント
〈ダボス会議で10年来の仲の○○と再会! 世界的な歴史学者の彼と話すと、自分の知識のなさを思い知らされるなあ〉
・時差ぼけマウント
・海外移住マウント
・学歴マウント
・名門高校出身マウント
・海外留学マウント
・読書マウント
・奥さんマウント
あげくは
・ジャズ愛好家マウント
・伝統芸能愛好家マウント
そんなのまでマウントになるの?
と思うくらいです。
・虎の威を借るマウント
というのがあって
これはもうお笑いネタかと思うくらいです。
〈申し訳ありません。
自民党から呼び出しを食らってしまいまして
お先に失礼させていただきます〉
(自民党呼び出しマウント)
もう書き出すと、きりがないくらいです。
自虐しながら、実は自慢しているのが
セットになっているようです。
自分の仕事、趣味嗜好
学歴や知識を書くことが
つまりその人の生活のありのままが
すべてがマウントととして
受け取られたとしたら…
もう何も書くことができませんね。
人をどのように理解するかということを
マウント目線で見るわけです。
後半に行くにつれ
〈武器としてのマウンティング術〉
などと戦略が書かれていますが
ビジネスやネットの世界の戦略は
もう私にはよくわからない世界です。
マウントの話は「あるある」として
読めば、大変おもしろい。
ときどき笑ってしまいます。
いまはこんなふうな世界なんだ。
こんな考え方もあるんだと
みておくのがよいのでしょうか。
(それはあなたの感想ですよね)
と誰かに言われそう。