2024/10/03
『女ことばってなんなのかしら』の続きです。
女ことばがあるのは日本語だけだそう。
西洋語には女ことばはないけれど
女性特有の話し方の特徴はあります。
西洋語でも女性は
親密感を目的に振る舞う話し方になる。
・(命令でなく)一緒にやりましょう。
・あなたもそう思わない?
・ひょっとして、今日は時間ある?
・もしだれも反対でなかったら・・・
本当は何を言いたいのか
相手に察してくれるように求めているのだ。
力関係が反映される話し方になるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/97/32502e16f9e6f7b8a3ba10714b22b699.jpg)
面白いなと思ったのはこの文章。
〈長谷川町子の人気漫画
『意地悪ばあさん」が受け入れられたのは、
老いと女という絶対的な弱さ
を抱えた存在だからです。〉
ああ、老いていることと
女であることは
弱いということなんだな。
〈『トムとジェリー』で、
弱者のネズミと強者である猫のトムに
痛快さを感じるのと同じ。〉
〈つくづく思うのは、意地悪は弱者のもの。
おかれた立場からそうなった。〉(p.128)
と著者は書いています。
なるほどなあ。
強い人は意地悪をする必要もない。
力で抑えることができる。
〇女と男では意味が違う言葉
女盛り/男盛り
「女盛り」は女が成熟して色気たっぷり。
「男盛り」は働き盛りを連想する。
女々しい/雄々しい
「女々しい」はネガティブな意味合い。
「雄々しい」は褒め言葉。
女手/男手
「女手ひとつ」では
主として仕事をして収入を得たことを示す。
「男手ひとつ」では男ながら
家事や育児をしたことを示す。
この対語には
男女役割分担意識がうかがわれる。
「男らしい」は無条件にほめ言葉であり、
女らしさは過剰なときに批判される。
男らしさは足りないときに批判される。
「男らしくない」と言われたら完全な否定。
「女らしくない」と言われたら
活発さのイメージで肯定される。
(p.159)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/4d/483e468da48300a869271e04dbf8858f.jpg)
小説では男性は姓で記すが(大谷、高橋など)
女性は名前で書かれている(ゆり子、マリなど)。
そういわれればそうだわ。
〈女性の姓がわからないことについては、
三島由紀夫の『綾の鼓』を訳したときに
頭を痛めた問題だとして、
ドナルド・キーンが次のように書いている。
≪問題というのは、登場人物の一人華子に
姓がついていないことだった。
日本語ならば、姓がなくても
「奥様」と言えば、それで事が足りる。
しかし英語では、姓なしで単に「ミセス」
とは言えないのだ。≫
(P.149)
〈キーンによれば、マダムという呼び方はあるが、
同じ劇ですでにマダムと呼ばれる
別の人物が出てくるため、
三島は英訳本のために特別に「月岡」
という姓を創ったとか。
今まで違和感を感じなかったが、
この反対だったら奇妙に感じたことだろう。〉
〈そのわけは家制度にある。
明治以降は生家の姓を名乗り続けるのは男子だけで、
女子はいずれ他家へ嫁ぐものとされていた。〉
からだそうである。
〈ちなみに近松門左衛門の作
『小春治兵衛』『お初徳兵衛』(曽根崎心中)、
『梅川忠兵衛』(冥途の飛脚)は
女の名前が先に来ている。
当時の日本にはレディファーストの習慣はない。〉
山本健吉によれば、
「古来女は成仏するのが難しいとされたため」
女人救済の気持ちがあったのでは」
ということだそうですが
成仏できない女が憐れだから
ということかしら。
仏教思想は男尊女卑ですね。
ちなみに西洋のお芝居では
『ロミオとジュリエット』
『ダフニスとクロエ』
『アントニーとクレオパトラ』
『ポールとヴィルジニー』
と男・女順の名前になっているそうです。