東急グループの五島哲さんの訃報に驚いています。
五島さんは私と同じ年で59才でした。
まさに、スポーツマンでした。
私は、彼が確か東工大だったと思いますが、学生の頃からの趣味であったモータースポーツ、ラリーでご一緒したことがあります。
当時彼はPMCSのメンバーで、日本のトップラリースト集団「グループイレブン」のメンバーでした。
非常に多趣味の方で、まさにスポーツ万能。
彼が真っ赤な新車のフェアレディZをラリー車にチューンしたのは、実は群馬県高崎の小さな自動車工場でした。当時の「オートテクニック」に掲載されました。
経済的に豊かな立場の人だとは感じましたが、最初はまさかあの東急グループの御曹司とは知らずに気軽に付き合っていたものですが、後でお聞きして驚いたものです。。
グループイレブンの五十嵐良夫さんや水戸部喜一郎さん高崎正博さんとともに夜中に上州の山岳コースで練習したり試走したりした頃が懐かしい思い出ですね。
当時一緒に走っていた、加勢君も今はあの世です。
若かりし頃の青春の1ページの巡り合い。
懐かしい思い出です。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌
五島さんは私と同じ年で59才でした。
まさに、スポーツマンでした。
私は、彼が確か東工大だったと思いますが、学生の頃からの趣味であったモータースポーツ、ラリーでご一緒したことがあります。
当時彼はPMCSのメンバーで、日本のトップラリースト集団「グループイレブン」のメンバーでした。
非常に多趣味の方で、まさにスポーツ万能。
彼が真っ赤な新車のフェアレディZをラリー車にチューンしたのは、実は群馬県高崎の小さな自動車工場でした。当時の「オートテクニック」に掲載されました。
経済的に豊かな立場の人だとは感じましたが、最初はまさかあの東急グループの御曹司とは知らずに気軽に付き合っていたものですが、後でお聞きして驚いたものです。。
グループイレブンの五十嵐良夫さんや水戸部喜一郎さん高崎正博さんとともに夜中に上州の山岳コースで練習したり試走したりした頃が懐かしい思い出ですね。
当時一緒に走っていた、加勢君も今はあの世です。
若かりし頃の青春の1ページの巡り合い。
懐かしい思い出です。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌
当時の有名なチームはみな “伝説” になって仕舞って寂しいかぎりです。
最近の「忘年会」や「お歳暮」を見ても世の中がお金を使っていないのだから、金食い虫の “MS” が衰退するのも仕方ありませんね?。
「時代の流れ」これは自分一人ではどうする事も出来ませんから・・・
ツールドニッポンで佐藤献二・五島哲組のスカイラインが優勝したのは。
あの頃のコースも、今ではどこも舗装されてしまって、面影もありません。
・・・懐かしいですね。五島哲氏には謹んでお悔み申し上げます。
追伸、
そうそう、その佐藤献二氏が三鷹でチューニングショップを経営してました。
http://www.neostreet.co.jp/special_shop/sato_compe/sato.htm
JMCの渋谷道尚さんともよくコース設定やら試走をしたものです。
当時の日本アルペンラリーも懐かしいですね。
東京ミッドナイトラリーなんて40年くらいも前の日本におけるラリー競技の黎明期だと思いますが、
タイガー計算機やパイロットP3なんて計算機を搭載してナビゲーターがガチャガチャ回しながら走り回っていたのですから懐かしい。
ナビを2名も載せてクラウンで参戦なんて人もいたのです。
高橋先生なんてお医者様はいつもゴム長はいて頑張っていました。
あの頃、塩ノ沢峠でコースアウトして死亡事故が起きてラリー競技はだいぶ窮地に陥りました。
クローズド競技で民家の壁を壊してそのままにして問題になり、関係のないJMCの渋谷さんと一緒にラリー関係者が謝りに行ったり大変な時代でした。
ラリーが社会的な地位を得るようになるには、ラリーを愛する人々の熱意と情熱がありました。
http://www7.plala.or.jp/sato-competition/index.html