"2003年、「六管桟橋」に関する説明板と桟橋に使われていた石組(ほんのわずかですが)をみましたので、頁を編集しました。
説明板の絵図で、軍用桟橋の付け根の部分だけが残されているのだとな~とわかりましたが、2010年広島市郷土資料館で、広島の競馬場の企画展示をみたとき宇品地区の地図を撮影していたのです。
その地図を2014年のいまになりましたが、ここで取り上げた「軍用桟橋」の位置的なものがわかると思いましたので、地図を加え頁を再編集しました。
なお資料館展示資料の地図にある“中國グランド”が1931年にここ宇品地区に移転した広島競馬場で、僅か2年で廃止され大洲町に移転することになったそうです。
軍用桟橋(六管桟橋)跡
廣島ぶらり散歩「軍都・廣島関連施設戦跡など」編
説明板の絵図で、軍用桟橋の付け根の部分だけが残されているのだとな~とわかりましたが、2010年広島市郷土資料館で、広島の競馬場の企画展示をみたとき宇品地区の地図を撮影していたのです。
その地図を2014年のいまになりましたが、ここで取り上げた「軍用桟橋」の位置的なものがわかると思いましたので、地図を加え頁を再編集しました。
なお資料館展示資料の地図にある“中國グランド”が1931年にここ宇品地区に移転した広島競馬場で、僅か2年で廃止され大洲町に移転することになったそうです。
軍用桟橋(六管桟橋)跡
廣島ぶらり散歩「軍都・廣島関連施設戦跡など」編
8月10日(安芸区のわが家付近)天候 :あめ