中区基町の広島城堀・北側緑地帯に建立されている「部隊跡記念樹碑(ノモンハン事件参加部隊跡碑)」です。
ノモンハン事件:1939(昭和14)年5月~9月
満州とモンゴルの国境ノモンハンで起こった日ソ両軍の国境紛争事件です。
1939(昭和14)年5月12日モンゴル人民軍(外モンゴル軍)がノモンハンからハルハ川を越えて満洲軍と衝突する事件が勃発付近のハイラルに駐留していた関東軍第23師団が処理要項に従って出撃、外モンゴル軍を退却させたが、ソ連軍がモンゴル側の援軍に駆けつけ、反撃に出た。
日本は関東軍1万5千名などを動員したが、8月ソ連空軍・機械化部隊の反撃によって壊滅的打撃を受けた日本軍の損害は大きく、全兵力約5万6000人のうち8440人戦死、死傷率は30%を超えた(特に第23師団1万5000人の死傷者は実に1万2000人弱、死傷率は75%を上回り、壊滅した)。

(後側の建物:広島市立基町高等学校)
(裕編集の) 部隊跡記念樹碑(ノモンハン事件参加部隊跡碑)
ノモンハン事件:1939(昭和14)年5月~9月
満州とモンゴルの国境ノモンハンで起こった日ソ両軍の国境紛争事件です。
1939(昭和14)年5月12日モンゴル人民軍(外モンゴル軍)がノモンハンからハルハ川を越えて満洲軍と衝突する事件が勃発付近のハイラルに駐留していた関東軍第23師団が処理要項に従って出撃、外モンゴル軍を退却させたが、ソ連軍がモンゴル側の援軍に駆けつけ、反撃に出た。
日本は関東軍1万5千名などを動員したが、8月ソ連空軍・機械化部隊の反撃によって壊滅的打撃を受けた日本軍の損害は大きく、全兵力約5万6000人のうち8440人戦死、死傷率は30%を超えた(特に第23師団1万5000人の死傷者は実に1万2000人弱、死傷率は75%を上回り、壊滅した)。

(後側の建物:広島市立基町高等学校)
(裕編集の) 部隊跡記念樹碑(ノモンハン事件参加部隊跡碑)
2023年1月18日(安芸区のわが家付近)天候:はれ、曇り
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